年齢的なものでしょうか?最近ちらほらと

親の若しくは義父母の介護問題や病気、

そんな話しを耳にする機会が増えました。

自分の体力も下り坂になってくるのと同時に

そんな話しを聞くものだし、やはり人事ではありません。


私が介護と関わったのは、二十歳を数年過ぎて助産師学校の

試験に合格し、入学手続きをとる直前のことだった。

祖母が子宮頸ガンで、転移していて余命6ヶ月と診断

された事に始まります。

(今のような訪問看護の制度などない時代でした)

結局、助産師学校の入学は取りやめ祖母の介護と、

仕事の日々です。大学病院の先生が開業するので、

そこでの立ち上げと、管理職をしながらの介護でした。

当時私は、結婚もしていないし、子供もいないし、

大好きなおばあちゃんとの最後の時間のために。


体力的にも意欲的にも絶頂の時ですし、

現場でバリバリやって、後は寝るだけのような生活から

一変しました。

特に祖母は、お家大好き、今で言うロハス的な生活を

送っておりまして、しかも家族を大事にしてきた分、

外の世界と殆ど関わりを持たずに生活をしておりまして、

入院生活は、病気への不安と、ストレスで、とても

見ていられない状況でした。

たまたま同じ大学に籍を置いている開業医の先生が、

偶然にも近所におりまして、その先生に、時折往診してもらい、

自宅で、点滴、酸素、排泄の援助、疼痛コントロールの

薬の投与をして、さながら病院のような設備を整え、祖母を看病しました。

余命半年と言われておりましたが、結局、1年半もの期間、

病気ではありながらも自宅で過ごし、亡くなる2週間前に、

自宅で看るレベルではなくなりまして、入院しました。


看護は、さほど大変と感じた事はないのですが、

やはり一番大変なのは、祖母をとりまく家族との関わりと、

祖母自身の気持ちを受け止めること、さらに、

限られた時間を確実に死に向って生きていくわけですから

かなり精神的にキツイ状況でした。

比較的、私の看護にどーのこーのと口を出す事は少なかったですが、

私以外、家族は素人ですから、民間療法を進めてきたり、

胸水が溜まって酸素の取り込みとガス濃度を考えつつ

酸素を投与しても、どこから聞いてきたのか、

酸素は身体に良くないと外そうとしたり・・・・・。

病院であれば、絶対にそんなことしないのだろうけど、

自宅だからというのと、看護師以前に姪だからという頼りなさから

なのか、はたまた、ガンが治るという奇跡を信じたかったのか

そのやりとり、しかも祖母は、子供が思いを残さないようにと

考えていましたので、その間でのストレスの方が大変でした。


私の父もここ数年入退院を繰り返し、肺気腫ですので、

良くなることはありません。

日常の動作も年々出来なくなってきています。

そのうち私が父の介護をする事になるのだろうけど、

そんな父・・・・すごい偏食と、自分の経験や見聞きしたことが、

グローバルスタンダードなので、かなり大変です。

でもね、年をとった父なのですが、やっぱり父なのですよ。

苦労をしてきた人なので、争いを好まないのですが、

その分、気に入らないと寡黙になってしまい、

何を考えているのかわからない事の方多いのですが。


介護ってされる側より、する側が思いを残さないように

するためなのかとも思います。

もちろん、時間も費用もすべてを捧げる事になるので、

大変な事ではありますけどね。

色んなケースがあるので、すべて順調にとはいきませんが、

家族が助け合う事、支えあう事、お互いに気を使う事、

改めて大事な事だと思います。


まだ、現実に何かしなければならない段階ではありませんが、

心構えは大事だと再認識する日々です。