昨日は、DVD三昧で御座います。

私は、大好きなデンゼル・ワシントンのを観て、

子供は、ウィル・スミスをのを観ました。


今回の学校問題がキッカケとなり、彼女の

アイデンティティは、すでに日本には、食文化以外

残っていないのではないかと思うほどです。

正直、お手本になるような、素晴らしい大人が身近に

いないのと、素晴らしい事を評価する、

そんな単純なことが出来ず、人の揚げ足やアラ探し、

そして、してやったり、出る杭だから抜かれた・・・

それが正義かのような風潮・・・・。

そのどこに、希望があるのか大人の私でさえ

わからないし、疑問だらけ。


私の中の悔しい・悲しい・辛い気持ちも時間とともに、

はるか彼方からしか聞こえてこないけど、

いつから自分は、感情を押し殺す事に慣れて

しまったのか忘れてしまうほど、自分の心が

わからなくなりそうになる。


こんな人生は、幸せではない。そう思い始めたのは、

もう何年も前の事、そして、考えれば考えるほど、

我が子が幸せである事は、自分の幸せであり、

自分が幸せであれば、我が子も幸せなのです。


クリストファー・ガードナーの自伝的映画の中にも

幸せという言葉が幾度と無く出てきます。

さらに、主人公は、何度と無く幼い息子にこう訊ねます。

「お父さんを信頼するか」「お父さんを信頼しろよ」と。


自分に言い聞かせる部分と、子供に不安を与えない部分の

両方の意味で使われているのですが、

私自身は命を引き換えても守りたいものは、

子供しかいません。

だから、今自分の中で一番信じられる自分の感情は、

我が子を幸せにしたい。それだけのような気がします。


物事を複雑にするのも感情なら単純にするのも

感情だと思います。


だから、わたしは幸せになるための努力を

怠ってはいけないのだと思う。

幸せだと感じられる感情まで押し殺しては

いけないのだと思う。


食事制限のおかげで、子供と私は、食べ物に関する

見方、感じ方が変わりつつありまして、

ご飯粒一粒にもいとしさを感じられます。

すごく幸せな事です。

今までそこにあったものが急に見え出すのです。

この感情は、押し殺したものではなく、

気づけなかったものです。

まだまだきっと沢山、見えないものがあると思うけど、

もっともっと見たいし、感じられたらいいのにと

欲張っています。