以前気づきについて書きましたが、今日は、そんなお話し・・・。
気づかないということは、停止していることと教わりました。
気という言葉で思い出すのは、どこの校長もマンネリ、自己満足スピーチで、
やる気・元気・根気・・・・など言いますがね、
また、気というと、手を触れず、どひゃーっと人を倒すだとか
その程度の認識しか、御座いませんでした。
しかし、日常使う言葉で、気という言葉をかなりというか、
多用していた自分に気がつきませんでしたよ。
人は、目に見える現実しか信用しない事が多いと思います。
眉唾ものだね、とか、そんなことあるわけがないとか、オカルト関連では、
そのように思う事もしばしばなのですが。
目に見えないからといって、存在しないわけではない。と分かっていながら、
形や触れる事が出来なければ、かなりあやしいと言われてしまう現実。
そんな時先生に、「では、あなたは、今吸ってる空気が見えますか?」と質問に
何も答えられなくなってしまいました。
さらに、気とは基本的に感じるものです。感じることは見えないのですが、存在するのです。
人の心が見えないように、心で喜怒哀楽を感じることは、外では見えないけど存在するのです。
見えないからといって否定するのは、とてもおかしな事だと思いませんか?と・・・・・
ですから道を歩いていても、ちょっとヤバめな感じの方は、そんな雰囲気という気を出して
いるのです。また、はじめて会ったのにとっても話しやすそうな人っていますよね、
その人は、ウエルカムって気を出してるんですよ。
だから、あなたが一見嫌いだとか苦手だとか思う相手は、その気をあなたが出しているので、
相手も同じような気を出してしまうのです。
そんな中、その先生の体験談をお話し下さいました。
実はね、草花が大好きで、良く手入れをしていた女性が殺されてしまったんですよ。
そしてね、その草花が一日で枯れてしまったんですよ。と・・・・
植物は、私達と同じような感情は、ないかもしれないけど、何らかのショックでそうなったんだと
思うのですが、殺人現場の植物ってだいたい枯れてしまうんですよ。
だからね、私はその植物の気を感じたいと思うんですよ。とのことでした。
考えてみたらキノコだって、蛙だって猛毒をもっている種類は、かなりの確率で、
色がものすごくグロいものが多いのは、私を食べると大変な事になりますよって信号に
見えなくもありません。
気づきの件は、まだまだ御座いますので、またの機会に・・・・・。