昨日、子供とミャンマーで亡くなられたジャーナリストと方について話しておりました。
無抵抗な僧侶のデモに、武器で鎮圧する政府部隊についてもそうなのですが、
何故、このジャーナリストは殺されてしまったのか?との問いに我が子は、
即答しまして、
「国の悪い奴が、悪いことを報道させないために、殺して見せしめにしたんだよ。そして、本当の事を伝えられては困る人が、命令して殺したんだね、きっと」
私が、言う前に答えられてしまった・・・・・・・。
私は、亡くなられたジャーナリストの事をマスコミで報道するなら、亡くなった事による悲劇ももちろんなのだが、せめて、彼の今までの仕事を何故、もっと沢山メディアは、取り上げなかったのかと、それが一番悔しいのです。
彼の事をよく知りませんが、死を悲しむのならその代わりに、彼の今までの仕事を
沢山世に出す事が、最高の彼に対する手向けになるのではないかと思う。
それにしてもミャンマーの僧侶は、とても素晴らしい行いをしていると思う。
民衆の貧困や悪政に対して、非暴力の抵抗である。
日本の宗教法人は、非課税である。きっと、良い行いをしているのでしょうが、
北九州などで、生活保護を強制辞退させられたり、色んな社会問題に、何かアクションを起こしている僧侶を私は、知りません。
唯一、ホームレスに炊き出しを毎回行っている、日本では、弱小の部類に入る
クリシュナくらいしか見たことがありません。
まぁ、市民団体やら何やらもやっていますがね。
日本の仏教会も今回の事で、コメントを発表しているが、
これじゃあ、わが国の誰かさんと同じで、何かあれば遺憾の意を表明って、
それじゃあイカン(遺憾)のよ。その言葉を軽々しく多用することで、
最早、「えーーーーーーマジそれ、ありえない。」と同義語のようなものである。
せめて、断食でも即身仏(法律でダメなのだが)にでもやるくらいの覚悟は
ないのか?上記が、良いのか悪いのかは別として、
値段の高い戒名の文字を考えるより、遺憾の表明より、
組織がデカイ分、もっと何か出来るだろうと思うのは、私だけだろうか?
そして、メディアも・・・・国会議員のレシートの報道も大事なのだが、
もっと、もっと大事な事を報道してほしいのだ。
中国とミャンマーの関係も、アメリカの思惑も、もっともっと報道しなければダメだ。