本日、明けて月曜日・・・・。前から会う事になっている弁護士と午後に面談予定。
不毛にも思える学校関係のやりとり、そして、希望と落胆の繰り返し・・・正直すごく消耗する。 ブログ(1)をお読み頂いた方なら分かると思いますが、
教員や校長が束になって、我を通したり子供の気持ちを踏みつけにしたり、
学校、教委から嘘をつかれたり、謝罪をせずほっとかれなければならないような事を
私達親子は、したわけではありません。
法律がすべて正しく機能しているかどうかもわかりませんが、この中途半端な状況が、私たちとしては、一番ストレスです。こうしてブログで書いていくことも多くの人に分かってもらいたい、知ってもらいたいと思う反面、他の方たちの体験談を見聞きするにつけ、これ以上どうにもならないのか?のような孤独感と不安感が襲ってくる。
ただ、このまま学校側の思い通りにさせたり、我が子自身の今後において、
子供が特殊な考えだからとか、教組に噂を流した教員の如く、異常な親子の対応に苦慮しているという記録のままに、好き勝手されるのだけは、何としても避けたい。
そのための戦いなのだ。
私自身、この子供の親で最高に幸せで、この子の親でいさせてもらって本当に、涙がでるほど嬉しいし、いとおしいのである。その可愛い、可愛い我が子を何とか、
今後不利な情況や立場にならないようにするための戦いだからこそ、頑張れるのである。 義務教育期間の公教育に期待もしてなければ、子供自身今のところ行きたがらない。 非常に腹立たしいのだが、現在の教育制度自体が限界にきており、
親のニーズ、子のニーズと学校側の対応にギャップがあるのである。
すべてを認めろとか、どうとかいうつもりもなく、私は、論理性や具体性に欠ける日本型の根性論だけで突っ走るような教育、質の一定、統一されない公教育、日本独特の児童文化など、そんなもの正直いって必要なのだろうか?と思う。 勉強に関して言えば、習熟度のテストのたぐいで充分であり、馬鹿げた国語教育のように、
Q,太郎さんは、どう思いましたか? 1、悲しんだ 2、喜んだ 3怒った 4困った
答えは、2の喜んだで正解でーす。のような教育って・・・・・私なら人それぞれなので、特に何も感じなかったと答えるかもしれない。4択以外の選択をした時点でアウトなのだが、感情に正解・不正解もあるまい。
私は、保育園の帰りに突然の雨が降った時、我が子が言った
「ママー、お空が悲しいって泣いてるから雨が降るんだよね。」と言った子供の
感性を大事にしたい。ここで、低気圧が云々と言って否定するのは、
小学校の国語教育のように、野暮である。
あー、それにしても結構シンドイものです。