私が、不登校(当時は、登校拒否)だったころ、フリースクールもあったのでしょうが、
そんなところに通った記憶もなく、もし、現状そのような場所があれば行きたいと訊かれれば、私としては、うぅーーーんと言葉に詰まるような気がする。
フリースクールと言われるのは、日本においてはどちらかというと、自由だとか、既存の学校制度からの開放等、どちらかというと、子供や家族などの心、規則、人間関係などからの自由と言った意味合いにのみ使用されることが多い。
FreedomとFree・・・前者は、自由だし、後者はタダという意味合いもある。
子供にとって、教育を受けるのは権利であり、そのため、公立の小・中学校は、実質タダなので、海外では、フリースクールというと、公立の学校を指すこともある。
もちろん、不登校といえどもその理由は十人十色である。
経済的に余裕のある家庭もあれば、そうじゃない場合もある。
日本の中でもフリースクールを運営している人達も色々で、私財を投げ打って取り組んでいる人達や、月1万円程度の最小限の徴収で何とか運営している所や規模も大きくなり、助成金やら父兄から数万~数十万徴収する所まで様々である。
すべての団体の活動を理解してるとは言わないが、これは私自身の考えなのだが、不登校で、ホームエデュケーションという形をとっているのは、自身の選択であり自由なのだ。
しかし、現状の多数のフリースクールというのは、公教育体制ではない自由な空間やら、頑張らなくていいんだよ的な奔放さと我がままさを良しとするような風潮が、どうも納得できないというか・・・・・。
自分達不登校の人より、現状のこの国では当たり前のように、小・中・高・大学へと進む人達が多いのである。並外れた天才ならともかく、この国の人達の弱者切捨てや、人と違う事を認めたがらない、排除しようとする傾向は、もう何十年も前から変わっちゃいない。
それならば、ホームスクーリングを海外のように、一般的に認めてもらおう。とか、
行かない事が周りから眉をひそめられるような風潮を改善するような努力をするとか、自治体の児童館的な居場所の拡充をするとか、もう少しやり方があってもいいのではないかと思うのだ。
同じ不登校などの境遇の人達は、色んな思いで行かないことを選択した者達の気持ちは理解しやすいが、現状多数のストレートコースを選んだ人達には、なかなか理解されないのである。 ストレートコースの子供たちの中でも、ギリギリのところで頑張っている子供たちもいると思う。 また、親だってこんなので本当にいいのか?と思っている人達も多いと思う。 だから私の子供のように、行かない自由を選択してノビノビやっていたり、家で自分の好きな課題や得意な事を極めたりする子供達がいるのである。 その子供達にとって、既存のフリースクールが、全く役に立たないとは言わないが、そのフリースクールも自分に合わない人もいると思う。 私も含めて。
だから、制度として現状の義務教育期間、ストレートに学校へ通わす、フリースクールに行く、フリースクールとホームスクールの併用、学校とホームスクールの併用など・・・・・もっと選択肢があってもいいと思う。
小学校過程、中学校課程、高校過程は、うちの場合は、検定で充分だと思ってるし、
その後大学に行くなり、留学するなり、専門に行くなり、どこかに弟子入りするなり、
その先は、子供自身が決めることであるが、公教育もフリースクールも含めてだが、内輪だけの集まりや人間関係で完結するのは、非常に危険だし、何も生まないと思う。 そんな考えは、おかしいですかね?