昨日は、児童館へ行き久しぶりに同じ年頃の子供と遊んだようだ。
しかし、あまり楽しかったのか、はしゃぎすぎたのか、帰宅してご飯をおかわりしたかと思うと、そのまま眠ったと思ったらまた、高熱を出して、今朝もそのまま横になっている。
学校自体が休みの体制になり、私自身、この期間だけでも心が平安でいられればいいという思いがあり、とりあえず9月までは、最低限のやりとりはするものの、それ以上は弁護士とのスケジュールの都合上動けないので、とりあえずこの期間は、楽しむだけである。
不登校は、いけないこと・・・・そんな思いを当初娘はしていたようだが、決して悪いことでもなく、実際予備校の講師をしている兄のもとにも、中学不登校、大検、そのままストレートで、北海道大学や早稲田などの合格者が何人もいるのである。
その子達は、別に卑屈なわけでも、コミュニケーション能力も低い訳でもなく、一般的な就学期間を自由に楽しんでいる様子で、兄のもとにもよく、質問し、よく笑ういい子達だと訊いた。
私自身の不登校の時は、あまり周りからこの状況を理解してもらえなかったことが、一番辛かったし、何より、病気だからとか、最終的に学校へ戻さなければなどの無言のプレッシャーと、いざ学校に行くと「治ったのか?」のような言葉をかけられるほど、嫌なものはなかった。
結局、不登校がトラウマではなく、その時の気持ちや思いが、トラウマのようになっている。だから、今現在まで、中学時代のことなど思い出したくもないし、戻りたいなんて思わないのである。
さて、そんな母親の子供である我が子は、実に自由な発想で楽しく生きている。もちろん、年齢なりの悩みもあるだろうし、親をうざったく感じることもあるとは思うが、色んなブログを見ると、治るだの、学校へ行くかもとか、そんなことを期待しない方がいいと思っている。
もちろん、病気でいけない子もいない訳ではない。
しかし、居場所が学校か、家かの違いだけであり、親が、行かない事に関するプレッシャーをかけると、(たとえ、言葉に出さなくても、悲しんでいたり、悩んだ様子でも)子供は、どこに居場所を見つけるのだ?
やっと安心していられる場所が、自宅で、しかもそこが、自分らしくノビノビできる所ならそれでいいじゃない。
専業主婦になりたがる人は、問題のある人格でもあるまい。
子供だからというのではなく、基本的に、自分ならどうかということを
考えてみたら、もう少し違うような気がする。
まぁ親というのは、(私を含め)自分の時より子供の方が、優秀であるかのように、あれこれ期待するものである。悪いことじゃないけど、
子供のしたいこと、親が教えなければならないこと、やらなければならないこと、多少ズレがあるのも仕方ないのだが、工夫する道もまたあるのだと思っている。
偉そうなこと言えないが、私が脳天気な分、我が子の心理的プレッシャーは、少ないのでは?と思うし、毎日楽しそうにしている様子から、これが彼女にとって最善の方法で、早く、彼女らしく人生を送らせてあげられて良かったと思うことはあっても、あの環境に戻すことは全然考えないし、浮かんでこない。 目標をどこに置くか違っても結果が同じならいいじゃない。苦労しなければ大人になれないわけでもなく、嫌いなものを我慢して食べなければ、栄養失調になるわけでもない。
こんな大人になりたい、こんな勉強がしたい、こんな仕事がしたい・・・・
どれも殆ど不登校であってもかなえられるものなのだ。
ようは、学校に行かない選択をしたら、目標を模索しながらも現状で出来る(人一倍の努力など必要ない)努力で、何とでもなると思う。
親は、その間、経済的、精神的に支えるので充分な気がする。