12月5日(土)

 「今から帰るでな。」と僕が母に電話を掛ける。 「わかった。今 何処や。」「駅前や。十分ぐらいで帰る。」「わかった。 昼ご飯はどうすんのや。「まだや。食べに行くか。」「わかった。 おまえしだいや。」「誰もおらへんのか。」「みんな 出てった。 ずっとひとりや。」 母に帰るコールを掛ける時は5分以上かかることもある。 母が携帯電話を持ち始めたのは数年前。 当初 「携帯なんか、いらんわ。」と拒否していたが 親戚や孫との電話をきっかけに 妻からの「お母さん 何があるかわからんで 持っといて」の一言もあり ようやく持ち始めた。 それが今となっては母の必需品のひとつになっている携帯電話ではあるが メールはしない。メールはすぐ反応がないから怖いと言う。家の中でも母の電話は休むことはない。2階に寝ている僕に自分の部屋から電話してくる。「何時に起きるんや。」「明日 買い物連れて行ってくれるか。」など たいへんな“おもちゃ”を母に与えてしまったと思った。 でも おかしなもので電話がないと かえって心配になる。まあ 母が自分で電話を掛けてくる限りは 喜んで出なければいけないな、と思う。 僕に電話を掛けて来てくれたことに感謝していれば いつかは母の声も心地よく聞こえてくんだろうか。 僕の携帯電話の着信履歴は母の名前でいつもいっぱいだ。

12月6日(日)

 母とまた けんかした。 「足痛いで 救急車呼んで。 入院したいわ。」 と母が言い出す。「そんなに 簡単に救急車呼んだらあかんで。もっと緊急な人の所へすぐに行けやんようになるやろ。」と言うと「私が緊急や。 税金払ってなんで遠慮せなあかんのや。病気やから病気って言うて何が悪いんや。」と母がまくし立てる。「そんなことばっかり言うとるで 病気治らんのやで。」と僕が言い返すと、「今まで 頑張りすぎたんかな。もう 疲れたわ。もう ええんやわ。」と母の声が小さくなる。「あんまり変なことばっかり言わんと ゆっくりしとれば。」と僕が言うと、母は黙ったままソファに座って外に視線を向けた。「ほれ また救急車が行ったわ。あれに乗っていけばよかった。」と母は視線を外を向けたままつぶやいた。 その姿は まるで 学校を休んだ小学生が外で遊びたくてしようがないという情景そのものだった。 母の弱った体が果てしなく昂った心を持て余している。 けんかの元は いつも いつも いつも これである。