8年ぶりの沖縄旅🌺





続きです!


よく眠れた沖縄2日目。

我が家の特技は基本的にどこでも眠れること。

アジアや沖縄のゲストハウスだろうが

テントだろうが、椅子だろうが

夜行でも全然大丈夫〜😊






ゲストハウス海風、なかなか良かったです✨

リビングも使いやすかった!




さて!

今日は南部へ移動です。

バスで行くつもりでしたが、乗り継ぎにかかる時間や4人分の交通費を考えたら、タクシーで行くのと変わらないので、県庁前からタクシーに乗りました。

糸満までのバスは多いのですが、そこからが少ないそうな。。




え?レンタカー?

うーん、、やっぱり慣れない場所での運転は怖いし

レンタカーが全然足りてなくて、予約取れないという噂を鵜呑みにして、ハナから選択肢に入れず😅


というわけで、タクシーで向かったのはこちら。




平和祈念公園にある資料館です。

今回沖縄へ行くにあたり、絶対外したくなかったのが平和学習。

前回行った時はまだ兄たちも幼稚園だったので

選択肢には入れませんでしたが

今回は3人共もう学ぶべき時期。
沖縄戦のことをしっかり知ってほしかったのです。

本土の日本の歴史では、沖縄戦のことはほとんど習いません。

私自身も若い頃は全然知らなかったので
沖縄戦や歴史を知らずして、沖縄が好き!と言ってた
若い頃の自分が恥ずかしくなりました。。。






琉球処分により日本化を否応なく進められ
太平洋戦争の最後の激戦地となった沖縄。

沖縄は日本唯一の地上戦があった場所。

日本政府はアメリカ兵の本土上陸を何としてでも止める為、沖縄を砦としました。

その結果、血で血を洗うような悲惨な地上戦となったのです。

日本兵に殺された住民もたくさん。



ガマ(防空壕)の展示室では

子どもの泣き声が外に聞こえないように

子どもの口を必死で抑える母親がいました。

それで死んだ子もたくさんいます。



南部に追い詰められ、強制集団死、爆撃死
日本兵による殺戮、、、

目を背けたくなるくらい悲惨な地上戦。

兵や住民合わせて20数万人の命を奪いました。



沖縄の地は焼け野原。

琉球王国の大切なものや資料、文献なども
大半失われたそうです。



第4展示室の沖縄戦の証言集。

物的資料が少ないが為、証言集は後世に伝える大切なものになります。


たくさんある証言集。

娘はさすがにまだしっかりと読み込めませんでしたが

兄たちふたりは真剣な表情でたくさんの証言集をずっと読んでいました。





資料館のむすびのことば。


〜沖縄戦の実相にふれるたびに

戦争というものは

これほど残忍で これほど汚辱にまみれたものはないと思うのです

この なまなましい体験の前では

いかなる人でも

戦争を肯定して美化することは できないはずです

戦争をおこすのは たしかに人間です

しかしそれ以上に

戦争を許さない努力のできるのも

私たち人間ではないでしょうか

戦後このかた 私たちは

あらゆる戦争を憎み

平和な島を建設せねばと 思いつづけてきました

これが

あまりな大きすぎた代償を払って得た

ゆずることのできない

私たちの信条なのです〜





沖縄ほど、波乱万丈な歴史を通った地は

日本には他にないでしょう。

先人があれだけ理不尽な思いをしてきたのに

今の世は本土からのリゾート地として

観光客を受け入れてくれている沖縄。

きっと複雑な気持ちの沖縄の方も多いと思います。

それでも

いつでも優しい沖縄の方々。







だからこそ、まずは沖縄戦のこと知っていくのが大切だと思います。

(もちろん沖縄だけでなく、戦争や原爆のことも。。)








そういう気持ちが強いからこそ、今回沖縄に来たら

この平和祈念資料館へ一番に行こうと思っていました。





子ども達も、すごく心に響いた様子。

戦争を知る人が、どんどん減っていくからこそ

今の子ども達に伝えていくのは私たち親の役割。

戦争ほど無意味で無価値なものはない、と。。。



それをまた伝えていくのは、彼らの役目。