今回取り上げる季語は芒で秋の季語となります。
イネ科の多年草で日当たりのよい野原や斜面に群生している姿はまさに秋を感じさせます。
芒は団子とならんで月見には欠かせない一品です。
さらに芒と月の構図はそれ自身が秋の風物詩となっています。
芒は秋の七草の一つとなっており、我々が芒として見ているものは花ではありませんがその穂先を尾花と呼んで他の秋の七草の花々と同列に扱っています。
尾花が夕日を浴びて風にそよぐ姿は美しく、まさに秋を代表する風景です。
そのため、古くから詩歌によく詠まれてきました。
芒は茅とも呼ばれ、茅葺屋根の材料として古くから日本人には身近なものでした。
それではいつものように歳時記の例句から芒の本質について見ていきたいと思います。
古くから詩歌に詠まれていた題材なので、私の手持ちの歳時記には多くの例句がありました。
その例句を見てゆくと一様に受ける印象は静かさや寂しさです。
これらの印象は平安、鎌倉時代の文学によく表れる無常感、もののあわれに通じる感覚です。
句に取り合わせている事柄や風景は必ずしもそういうものでは無いのですが、芒という季語が入るとその風景や事柄が一気に静かさや寂しさを思わせるものに変わっていくように感じます。
それほどに芒という季語が持つ力は強いのだと改めて認識させられました。
芒という季語が入ったことにより取り合わせる事柄に静かさや寂しさが付加されるのであれば、敢えてそのような事柄を取り合わせるのではなく、ふとした出来事や何気ない風景を見たときに自分自身が静かさや寂しさを感じたことを素直に詠むのが良いのではないかと考えます。
穂芒や旅の一座の去る道に
(俳句ポスト投句)
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。