沖縄に旅立つ前の日に
ここで諦めるのって
なにくそ〜って思って悔しいと思って頑張らないのって言ってくれた友達に久々会いました
そうしたい気持ちはあるけど
今は頑張れないんだと
今の自分には出来ないんだと言って
その友達とは沖縄に行くまでの間
しばらく距離をおいていました。
けど、それは決してその人の事をきらいになったわけではなくて、ただただ少し時間が欲しかった
いっぱいいっぱいでその人の事を考える余裕がなかったから。ちゃんと向き合う時間が欲しかった。でも行くまでには必ず会おうと決めていた
それまで支えてくれた人でもあったし
言ってくれた言葉もあたしの事を想って
言ってくれている言葉とわかっていたから
悔しくて言ってくれてたのが伝わってきたから
このまま旅立つのは自分でも嫌だったから
友達に会って沖縄に行く前にいろんな話をしました
余裕がなかったこと
こうして欲しいと言われても答えられなかったこと
だからこそ苦しくなって離れたこと
友達は逆に言ったことに対して
自分たちがますみちゃんに頑張って欲しい思い、そこで立ち止まってるあたしに対して悔しい思いから、たくさん言ってしまって逆に追い詰めちゃってごめんねと
ずっと言い過ぎた事を気にしていたみたいでした。いろんな気持ちをお互い話して
次会うときは笑って会おうねと交差点のど真ん中で泣きながらハグして
次会うときには必ず笑顔で会おうと約束して
彼女は見送ってくれました。2人とも何度も何度も後ろを振り返っては
またねバイバイとそれまでの、そしてこれからのあたしに対する彼女の想いが伝わってきて涙がとまりませんでした。
そして母ちゃんは暖かくあなたが行きたいと思うところにあなたが幸せならと
親友のみみずちゃんはどこにいってもみみずは繋がっているからと
そして沖縄に旅立ちました。
沖縄に行ったのは、5月で宮崎はまだ少し肌寒くて着いたときの気温は30度を超えまずあついそこにびっくり!
着いて一言目があつい。
空港まで沖縄の友達が迎えに来てくれたんだけどね、とにかくあついあついとこの暑さはどうにかならないのと言っていました笑
それから友達のおばあの家によって友達はおばあの家の周りを案内しながら
シーサの意味や石敢当のことムーチー沖縄のお菓子の事色んな事を教えてくれました。
そしてお友達のお家に着いて
友達はいつの間に結婚していて聞いてはいたから申し訳ないと言ったけどそんな新婚のときにあたしを暖かく迎えてくれました
同じような経験辛かった時があったからわかるよと
旦那さんにはとにかくゆっくり寝させてあげてとそう一言言ったそうです。
旦那さんはアメリカ人と日本人のハーフで会話はほとんど英語でした。
生活はほぼallEnglish
食べ物も初めて食べる沖縄の食べ物だったりアメリカの食べ物ここは日本?
そこから友達との共同生活が始まりました。
毎日の言ってた言葉はね
必ずくしゃみをすると
Bless you!
これは言うんだよ!とくしゃみをしたときに教えてもらった言葉でね
神のご加護を。という意味があって
だからくしゃみをすると今でも思わずいいそうになるんだな
朝になるとご飯を作ってくれ
散歩するときには、暑いからとタンブラーにお茶をいれてくれ
お昼にはお昼ご飯を冷蔵庫に入れとくよと
好きなときに食べてと入れといてくれたり
どこかに行くと言うとおにぎりを握ってくれました。
夜は夜で彼女が毎日料理を振舞ってくれました。
まるでお母さんのように
無条件で何から何まで一生懸命にしてくれる彼女に申し訳ないと働きたいと言ったこともありました。
そしたら、お金はいらないと
なんの為に沖縄に来たのーと
今は好きなだけ休んでほしい。そのためにあたしは迎え入れたと。
彼女は見返りを求めることなくただただあたしに懸命に尽くしてくれました。
最初に住んだところは宜野湾市って言う北谷の近くで朝はアラハビーチを散歩して
夕方になると
サッカーをみたり貝殻をひろったり
アラハビーチはリゾートウェディングの写真撮影がほぼ毎日のようにあっていて
そんな2人をみたり
毎日同じ道を歩いているのに海の青さも
空の青さも景色が全然違って見えて
周辺はほぼアメリカ人ばっかりだったから日本で生活してるんけど異国の地にいるようで逆にそれが新鮮で
そう過ごしているうちに少しずつ気持ちも楽になって旅をすること冒険が楽しくなった
それからは今いる間にいけるところに行こうとお城巡りをしたり
そんな中友達が基地のこと、戦争のことたくさんの話をしてくれて、教えてくれました。
今まで沖縄に来るまでは、リゾート地って言うイメージがつよくて知らないことばかりだった
けどこうして沖縄で育った沖縄の友達と共同生活をすることで
旅行でのイメージと全然違う住んでみて旅する中で知っていく事もだんだん多くなっていきました
お城巡りを良くしていたから
その時はバスをつかっていたんだけど
バスに乗るときには15分前にバス停に行かないと時間通りにはバスに乗れないよと
これに乗るといけるよと
色々調べてくれて
いざバスに乗ると例えば15分のバスがあったとしても13分バス停の場所にいたとしても10分にそのバスが通過すればバスは15分にはもうこない
その逆もあって10分くらい遅れるから
そのどっちもありあえるから。だから目安として15分くらい前にバス停にいるといいよとか
知らなければバスを永遠に待っていた
こっちにきたら
郷に入ったら郷に従んだよ
とお友達が言ってくれたけど
島に行くんじゃなくて先にお友達が沖縄の事を知ってから行った方が良いよと言った意味がわかった気がした
いきなり島に行ったらたぶんあたしは直ぐに帰っていたと思う
その土地にはその土地ならではの習慣や
やり方ルールが時間が流れていて
だからこそ面白い発見がたくさんあったり
道を尋ねれば、尋ねたおいちゃんがおばちゃんが乗っけていくさーと
(沖縄では困ってる人がいたら一度会った人は家族みたいなもんさー)と
乗っけてってくれ
都会じゃありえないだろうけどありえないことがありえる
こんな木もあるんだとか
踊ってるみたいだとか
ひたすら写真を撮りまくった
毎日が楽しくなった
そんなこんなしていたらあっと言う間に友達のとの共同生活は1ヶ月を過ぎていた
あたしは友達の家を出て前に進むことにした
島にでることにした
基本、友達は友達がやりたいことを
あたしがあたしのやりたいことを尊重してくれてきほん、いい意味で干渉しないというかいい距離感をたもってくれていて
島に出る前の日に
友達はあたしをほっぽらかしたからと笑
どこにも連れてってなくてごめんよと
自分が好きな場所
見てほしいところに連れてくさーといってとても素敵な場所をあんないしてくれた。それがここ
ここは南城市の有機野菜のパンとかも美味しいカフェなんだけどそこから
眺めた景色
あたしにとって思い出ぶかい大事な大事な一枚となった
彼女は彼女で世界を旅したり、エジプトに1人で旅したりしたこともある子でたくましくもあり強さもあたたかさももっている。昔から写真が好きでそんな彼女がとってくれた素敵な写真の一枚。
彼女が撮るカメラの前で自然とつくり笑顔ではなく笑えるようになっていた続く