古代史ブラブラ

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古墳・飛鳥時代を中心に古代史について綴ります。

関裕二氏の『蘇我氏の正体』の興味深い点に係る記載を続ける。

 

・丹波から朝鮮半島に旅立った脱解王(新羅王)と、その末裔の武内宿禰(天日槍)が日本に舞い戻ってきたという一連の歴史を「浦島太郎」という一人の人物に仮託して、「浦島太郎神話」に述べられている。

 

・蘇我氏の祖は武内宿禰であり、天日槍である。武内宿禰(天日槍)は、新羅に渡った倭人、脱解王の末裔であった。蘇我氏は一度、ヤマト建国ののち没落していたようである。そして、6世紀から7世紀にかけて、不死鳥のように蘇っている。このとき、曾我や宗我であった名前を「我蘇れり」の「蘇我」の二文字に変えたのは、彼らがいったんは新羅に住み、そののち日本列島にもどってきて、ヤマト建国に貢献したという故事と、6世紀にかつての栄光の日々を取り戻すかのように、政界に返り咲いたからではなかったか。

 

・蘇我と武内宿禰、天日槍、スサノオ、そして脱解王の姿が重なる。蘇我氏の祖・武内宿禰は、「鉄器と鉄の流通」を山陰地方にもたらし、ヤマト建国の機運を一気に高めた功労者だった。北部九州にトヨ(神功皇后)とともに攻め入り、邪馬台国のヒミコを圧倒した。

 

・武内宿禰は北部九州で王として君臨したが、ヤマトが「外国人を王にすることはできない」と主張したために排斥された。これは、一度握った主導権を手放したくないヤマト側の焦りであった。武内宿禰は祖国に疎まれ、殺されかかった。

 

・トヨは武内宿禰をかばい、そして結ばれた。二人の間に生まれた御子がのちにヤマトの初代の王に立つのは、トヨ(神功皇后)と武内宿禰がヤマトを恨んで死んで、恐ろしい祟り神になったからである。

 

・蘇我氏の祖は祟るからこそ、「神」と崇められ、また「鬼」と恐れられた。このような「蘇我」の属性が天皇家のそれと似ているのは、「蘇我」こそが、日本の王家の根っこに位置していたからである。蘇我氏は正統なる一族であった。「蘇我」は天皇家そのものであった。