阿龍、吽龍 | 古代文字で、心の源泉を耕す

古代文字で、心の源泉を耕す

文字の持つ力を心の奥から探ります

6年前の今日も

描いていた。

3月末は

「宙」(遊書の仲間のグループ)の

フランスでの作品展が待っていた。

6年前の3.11も

紙を前に描いていた。

ラフが決まらず

部屋中

書き散らかした半紙に埋もれていたら

揺れた。

その瞬間

ものすごい頭痛に見舞われ

磁場が狂ったような感覚があった。

テレビを付ければ(あのころはまだあった)

凄まじい映像が流れていた。

それを落ち着かせるように書いていた。

こう書くとカッコよく聞こえるが

余震に怯え

映像が脳裏をめぐり

どうにもならん心地だった。

それをかき消すようにするしかなかった。

今、なぜここで?

私に何を見せたいの?

きちんと生きろと言っているの?

恐ろしく自分に向かう

負の自問自答にやられていた。

弱い

弱い

弱い

でも

いい。

阿吽とは

すべての生きとし生けるものの

絶妙なタイミングなのだ



表と裏

右と左

黒と白

男と女

生と死

有と無

反対なのではなく

それを感じるための光なのだ。

ちっともカッコよくない。

ああ

カッコよい必要もないんだけどね。

でもね

さらけ出していた。

怖い

寂しい

嫌だ

泣きたい

余震の続く部屋で

一人泣いてたな。

最後に残ったのは

泣いてる真美も真美

だったよ。

阿吽とは

すべての生きとし生けるものの

絶妙なタイミングなのだ。

あれから6年。

私の何かが変わったか

ちっとも分からないけれど

今日もやっぱり

描いていることに

変わりはないのでした。

そんな6年目。