少しずつヨガのプラクティスを実践していく中で、身体の些細な変化に敏感になり、食べる物やタイミングにより体調が左右されることに気づき、何を口にしたらいいか迷い、感謝どころか食べる事が煩わしいと思う事さえあった。
なんとなくの習慣や惰性で食べ物を口に運ぶ。
身体に良いものを、と考えたりする割には食事も、食べ物の事も大切に考えていなかった。
その日はニドラーからさめたあとも、ずっと静かな感覚が続いていた。
その状態のまま、その日もまたとりあえずでおにぎりをほおばった。
瞬間。
電流が走ったような衝撃。
食べた食感や香り、味が舌を通じて身体中に伝わり、全身の細胞に広がっていく。
そして、その感覚は大きなうねりをもってわたし全体を呑み込んだ。
咀嚼を続けると自分とその食べものとの境がどんどんなくなり、自分の身体や感覚、口にした食べ物、そしてその味や香りも全てがとけて混り合っていく。
わたしはそこにあるようでなくて、食物とわたしは渾然一体となっていた。
命が命を繋いでいる。
他の命を食べる事により、それらと混ざり合い、また新たに生かされている。
食事は祈りだ。
生きている事、今ここにある事を感じる。
小さな自分が世界や他の命と一体となり、沢山の生命の奇跡の連続により生かされている事を感謝する、小さけれどとても大切な祭り事なのだと思った。
まぁ、御託を沢山並べたのだけれども。
結局は、手を合わせてしっかりと感謝の心を持って大切にごはんを食べようと思った、という話です。
これを書きながら、目の前にある当たり前の事を大切にする事、それに気づく事が今のわたしにとってのヨガなのかな、と思いました。
最後まで読んでいただきありがとうございます。


