熊本県で大地震が発生して、2週間近くが経ちました。
被災された方々に深くお見舞い申し上げるとともに、亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。

震災が発生してからこの2週間足らずの間に、震災に関連する発言等により芸能人が謝罪するという記事が非常に多いと感じます。

参考:J-CASTニュース「芸能人はいま「笑顔」だけで「不謹慎」なのか SNS投稿が次々削除という異常な「震災反応」」

様々な理由がありますが、おおむね共通するのは「被災者への配慮が足りない」という言い分のようです。
「配慮」というのは「優しさ」と言い換えることもできるほど、近い概念の言葉だと思います。
しかしながら、度を超えた配慮は必ずしも優しいとは言えないことが多く、今回は多くがそれに当たると考えています。

結局、「配慮が足りない」と批判することで、自身は「配慮がある」ということを強調しつつ、芸能人のような自分より上位の人間を攻撃したいだけという風にしか見えないんですよね。

なまじ響きの良い言葉だけに、どんな屁理屈でも理屈っぽく見せることができ、濫用されると恐ろしい言葉です。

「被災地では苦しんでいる人がいるというのに、笑顔の写真を投稿するなんて配慮が足りない。」
「被災地ではお腹を空かしている人がいるというのに、料理の写真を投稿するなんて配慮が足りない。」
「被災地では家が全壊して避難所暮らしをしている人がいるというのに、家の写真を投稿するなんて配慮が足りない。」

…と、どんな行動に対しても批判をすることができてしまいます。

少し脱線しますが、被災地への寄付をしたことを報告する芸能人に対して「売名だ」と批判するなんて、開いた口がふさがらないというか、「もし売名だとしたって良いことしてるんだからいいじゃん!」と声を大にして言いたいです。

とにかく、批判の好きな日本人が多くなったのか、ネットの台頭でそういった人たちが表に出てきただけなのかはわかりませんが、良いことを良いことだと素直に称えあうことができない世の中は世知辛い世の中だと思います。

失う物がない一般人が「ネット」という道具を手に入れたことで、まさに「出る杭は打たれる」ということわざで言うところの「杭」を持っている状態になってしまっているのではないでしょうか。
そういったときに、ネットは数の力もあるため、良くも悪くも大きな影響力を持つことになります。

しかしながら、その「杭」を振るうか振るわないかは個々の判断です。
実際に不謹慎であったり、あまりに配慮が足りない人がいたとして、そういった人に対して抗議をすることは間違っているとは言えません。

ただ、本当に被災者への配慮を考えるのだとしたら、被災者が見たいのは芸能人の謝罪ではないと思います。
特に悪気がなくて、ましてや寄付や思いを寄せてくれた芸能人が謝罪に追い込まれるのは、逆につらいのではないでしょうか。

今回の件で、一人ひとりが本当の優しさについて考え、行動していくようになれば良いと祈る次第です。


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