こんにちは。朝は寒い昼は暑い夜は寒い。日陰の風は冷たいけれど日向の風邪は生ぬるい。最近は冬と春を飛び回っているような気分になる。

どうして今投稿するのか。他でもない定期考査前だからである。テスト前になると部屋片付けたくなるよねー、というのは学生の性というか目の前のやるべき事から逃亡したい気持ちの現れなのだが、今日はそれが大爆発してしまったのでどうかお付き合いくださいまし。


これは余談(愚痴)だが、私の最近の数学は専ら「中学校の解き方とは別の解き方」を習っている。果たしてそれは自分にとって本当に必要なものなのか、そんなことを考えている時間があるなら計算をしろというものなのだがどうにも頭を巡ってしまっていけない。その解き方でないと解けない派生の問題があるとかないとかそういうのは置いておいて、ただ単純に今自分が1番納得出来る解き方をかなぐり捨ててまで新しい地へ踏み出すというのはなかなか骨が折れることなのである。特に私のような数学嫌いには尚更。その鬱憤をとりあえずここで晴らしておきたい。


本題 こういうことばっか考えてる

こういう自分でいたいというどこか漠然とした思いは誰にでもあるはずで、イケメンにだとかスタイル良くだとかそういうことではなくて、例えば私で言えばものをよく考えるところがそれに当てはまる。自分が自分としてどういう性格でいたいか、ということだ。

それでは自分でしか知りえないことで何とか自我を保とうとする虚しい生き物に思えてしまうが、自分が自分として立っていられることが何よりなのではないかと私は思っている。イケメンなこと、美女なことというのは大概が他者から付けられた理由で、それを軸に立っていられる人間というのは本当に少ない。何故って、他者からの意見というのは時、環境によって大いに変わりうるからである。地元ではみんなから可愛いと言われて育ってきても、いざ都会に出てみれば自分は相手にもされなくて、そんな時に自分というのは内側から瓦解するのだと思う。自分の自我を見失ってしまうのだ。今までの可愛かった自分は都会のアベレージを下回っていて、じゃあ私は一体何に優れているのだろうかとそう考えるようになる。他者からの比較で成り立つ自我というのは実に脆く、それでいて人を盲目にする。そういう点では評価対象を自己に設定する、つまりは自分の中に自我を置くようにするというのは軸を自分に据えているので良い、と思いきや、それはそれで問題が発生しまうのだ。なんて難儀な。

なぜなら、他者と比べて自分がどうか、という自我の保ち方から、人には持っていなくて自分にだけあるものはなんだろう、という自我に変わり始めることがあるからだ。自分自身で自分自身を定義することはとても難しい。何かしらで世界一になることも、たまごサンドが好きなことも等しく自分自身を定義するに足りる材料だからである。もう少し説明すると、世界大会で優勝した=私とたまごサンドが好き=私は同格であるという話だ。数多の世界大会全てで優勝したというのなら話は別だが、この世に世界大会は星の数ほどあるので。こうなってくると話は頭に戻ってくるのだが、とにかく私は、誰かとは違う「唯一」を渇望しているらしかった。私の今のアイデンティティ(自分の中の)が熟考癖なのだから、誰がなんと言おうとその事実は変わらない。私が私として存在しうる最大の理由として、最早それに依存している。その結果がこのブログと言っても過言ではないだろう。不特定多数の(このブログを読む人が多数かは置いておいて)人々に黒歴史を晒すことに対しての危機意識や羞恥心は全くないのだ。何故かと言えば、それは全て自分の中で完結しているから。

下手っぴな説明になってしまったが、これはまたすぐ話題になると思う。その時の私が今よりもっと説明上手になっていることを願って、一旦筆を置く。


余談②


私は文芸部に所属しているので、日常でふと思ったことを携帯のメモに書くことがある。今日ふとそれらを見返していると、いくつか記憶にない文が現れたので今日はそれをいくつか紹介していこうと思う。


1.経験は、ない。

『キスをしようと唇を合わせるとき、両者ともに熱いと感じることはない。もしそうだとしたらそれは片方の幻想であって、しかし私はそんな夢を見るのが好きだった。』

経験はないのだ。恐らく書き途中の小説に組み込みたかった表現だったのだろうが読み返すとなんだか12回自分を殴ってやりたくなる程恥ずかしい。それくらい情熱をもって相手を愛していることとそれに自分自身が気が付かないことをアンバランスに感じて、ギブアンドテイクが愛ではないんだなぁとかかんとか、そんなことを考えたのだろうな、と現在進行形で恥ずかしいことを書き連ねている今日この頃である。


2.怠惰?

『其れが怠惰という化け物の成れの果てであることを知る迄におおよそ多くの時間を費やしたことがなんだか虚しくて、またひとつ。』

「まで」と書く時に「迄」を使うあたり喧しいのだが今回は許してやって、問題は最後の「またひとつ」である。何が「またひとつ」なのか全く思い出せないのだ。最後が「。」で終わっているということはなにかが続くわけではなさそうだが、作者として絶対に続くものをある程度想像しているはずで。それを思い出さない限りこの文章が小説の中に組み込まれることはないのだ。全くもって虚しい限りである。


読みにくい&謎内容のブログをここまで読んでくださった方、ありがとうございます!!!今日もお疲れ様でした!!またいつか!!