妹
こんばんは。田中光樹です。
長くなりますが読んで欲しい話しがあります。
今日、高校で女子サッカーをしている妹の引退試合を観戦してきました。
結果論かもしれませんが、少し運命めいた話しです。
なでしこジャパンの優勝直後から、爆発的に女子サッカーを推進する動きが大きくなりました。
10年前まで大阪に8校しかなかった高校の女子サッカー部は、今や21校にまで増えたそうです。
なでしこジャパンの活躍によってマイナースポーツでは片付けられない日本の親しきスポーツの一つになっています。
幼稚園時代から女子サッカーを始めた妹もそんな彼女達に憧れて競技を続けているプレイヤーの1人です。
妹が高校で女子サッカーをするにあたって、進学先として候補が2校ありました。現在通っている高校(以下A校)と、もう一つは今日の対戦相手の学校(以下B校)です。
A校は女子サッカー部の歴史が長く、全国大会も狙える学校でした。
かたやB校は、妹の入学と同時に女子サッカー部を創設するという、まさに0からのスタートです。
その長いサッカー経験の賜物か、妹は両校からスポーツ推薦という形でスカウトを受けました。
妹は当時、どちらの推薦を受けるかひどく悩んでいました。
両校の監督から積極的な説得を受けました。
しかし、A校の監督にどことなく惹かれた、直感とでもいうのでしょうか、気持ちは概ね固まっていました。
「A校に進学する。」その旨を、創設直後の部を任されたB校監督に伝えると、
B校の監督は肩を落としながらも最後の説得と、妹にこう言ったそうです。
「創設してすぐ全国に連れて行くとは言えません。しかし、3年目じゃダメですか!!?3年後、必ずA校を超えて全国に行きます!!」
しかし気持ちは変わらず、その言葉を最後に妹はA校へ進学しました。
入学後は練習漬けの毎日でした。
晩御飯時の数時間しか妹と顔を合わす機会はありませんでしたが、今までのクラブチームでやっていた練習とは桁違いの練習量にその表情はいつも苦しそうでした。
強い日差しの中動き続けるため、皮膚は日焼けで黒く焼け、太腿も筋トレの影響で中学時代よりも遥かに太くなっていました。
部のルールである、「その日の練習の内容の反復をノートに書く」という日課を済ませると、
趣味へ費やす体力は残っておらず、21時には眠りについていました。
それ程過酷な状況でも、妹はサッカー部を辞めるという選択をしませんでした。
いや、正確にはできなかったのです。
スポーツ推薦で入学した妹が部活をやめることは、高校を辞めるということと同義であるため、退部は許されませんでした。
不憫だったのは、妹がとにかく真面目な性格であったことと、それをこなしてしまえる器用さがあったことでした。
何度も泣いて挫けそうになる寸前のところを、チームメイトや母親がいつも励ましていました。
1年も経つと、練習にも慣れ、入学直後の苦しそうな表情を見ることは少なくなりました。
相変わらず、日焼け止めは手遅れで必要ない程皮膚は黒く焼けていましたが。
しかしこの時あたりから、A校は大きな問題を抱えました。
それは部員不足です。
爆発的に女子サッカーが普及したため、女子サッカーを始める高校による部員の争奪戦が激化したためでした。
A校は1年間部員10人という厳しい状況での試合を余儀無くなされました。
ただでさえ11人がベースの競技。
仮に1人でも怪我をして欠場すれば試合は絶望的でした。
そんな中B校は、その学校の設備の潤沢さ、大学進学の保証、監督の指導力の高さから着々と部員のリクルートに成功。
レギュラー争いをするまでに部員は増えていました。
大会があれば嫌でも同ブロックで見る、活気あるB校の光景を妹は時々面白くなさそうに母親に話していました。
全員が必ず試合に出れるという、B校とは対照的な環境に、どことなくチームのモチベーションも低くなり、
徐々に、でも確実にA校は優勝争いから外れるようになっていきました。
試合前日に妹と話しても「明日の試合は勝てない」と諦めていることが多くなりました。
去年の3年生の引退後、妹は副キャプテンに選ばれました。
その時期からちょっとした変化現れました。
毎日自主的に朝練をするようになりました。
5時に起きて始発から2番目の電車で学校へ。
そんな生活が定着していきました。
何でそこまで頑張れるんだろう、と思って1度聞いたことがありましたが、
「分からないけど、多分負けたくないから。」
と一言言われただけでした。
試合にはもう何度だって敗北した。
散々挫折してるはずなのに、それでも負けたくないという妹の発言が印象的でした。
そして妹が高校3年の夏、彼女のサッカー部人生において最後の大会が訪れました。
順調に勝ち上がるなか、ベスト4を決める戦いが今日でした。
ベスト4になれば決勝リーグへ進めるというトーナメント上最も重要な試合です。
その対戦相手が、B校でした。
偶然にも試合会場はB校のグラウンドでした。
母親の隣でコートを眺めながら、妹の言っていた「負けたくない」という言葉をぼんやりと思い出していました。
キックオフして束の間、あっけなく明暗は分かれました。
6-1
惨敗でした。
コートから観客席に向かって礼をする選手達の中から、
ウェアで涙を拭く妹を見つけるのはとても簡単でした。
涙もろい妹です。
今まで泣き顔は何度も見てきましたが、これほどまで泣いてる妹は初めてみました。
試合後コートから出てきた妹に言葉をかけようとしましたが、良い言葉は思い浮かばず、飲みかけのジュースを渡しました。
B校の言った
「3年目じゃダメですか?」
という言葉が実現した瞬間でした。
もし、最後のスカウトの日に、
頷いていたら、
今妹は相手チームのコートにいたのかと、
引退の言葉ではなく決勝リーグへの意気込みを語っていたのかと思うと、感慨深いものがありました。
「結果は惨敗だ。」
そうかもしれません。
それでも「惨敗した」という事実だけでは片付けきれないことだと思いました。
「人生なんて選択肢の連続だ」
「結果が全てだ」
どれもその通りの言葉です。
でも例え、自分の選択が思わしくない結果につながっていたとしても、
思わしくない結果になるまでに長い長いストーリーがあります。
妹は確かに勝てませんでした。
最後は涙を流すことになりました。
でも、そこに辿り着くまでに得た経験は、
彼女がこれから生きていく中でとてつもなく大きな財産になったはずです。
結果は大事だけど、
結果が全てじゃない時もある。
そんなことを妹から今日学びました。
長くなりましたが、読んで頂いてありがとうございました。
