なんだかいろんなひとが去っていったなと
人生振り返って考えてしまう夜
(もちろん結びつきが強くなったひとも変わらず居てくれるひとも居る。好きだと言ってくれる人たちも居るから掬われるよる)
適当にうまくしてればよくもわるくも
ほどよい加減で繋がり続けて
だれからも疎まれることもなく
ぬるま湯的なたのしいだけでいいような
気が向いたときだけ繋がりにいくような
そんな風にいられたのかもしれない
でも
そんな風にじょうずに生きられない
上手に立ちまわるひと見てると
なにが違うのかなって
そんなに違ってくるのかなって
今はくるしくなるので
余計に自分から混ざりにいきたくなくなってしまうのもある。
誰がどう生きてもそのひとにとって正解なんだし
自分が間違ってるとか
自分だけが孤独になってくとか
一部だけをみて凹まなくていい
思い込まなくていい筈。
あ〜ぁ、でもなんていうか
うまくやるよねって
不器用が故に
ちょっと羨ましくもなるし
でもやっぱり
都合いいときだけだもんねとどっかでどんどん削れてくものを感じる。
なんでこんなこわくなった
自分を表現するのがまたこわくなっている
とりあえず虚しくなるから
雑に扱われたり、手を離されたら
私からも感謝して手放してもいいよね。
そういうときにこちらからは変わらず好きでいようとかいい子ちゃんする癖卒業する時期かもしれないな。うん。
色々傷ついたりショックなことあっても
愛をベースに生きることを選択し続けるって
素敵な姿勢、在り方だなって
今日トゥーランドブイログの3人の話聴いててあったかくなった。
自分も疑念とか、なにかを振りかざしたくなったりとか、どうせみたいなマイナス思考が暴走しそうになったら
なるべく誰も傷つけずに、そっと距離考えたり
ちゃんと対話したりして、放つバイブスをなるべくいい匂いにしてたいなと思った。
あんまり昔みたいにヒステリックマダムゆり子にはならなくなったけど、内側はなかなかぐるぐるもやもやするもんで。まぁ人間らしい笑
さて、早く寝ないと。。。オヤスミ
怖がって自分を出さなくなっては
余計に誰にも見つけてもらえないのはわかってる
世の中の多くが生ぬるく繋がるやさしい世界が好きなら、傷だらけのまま心底からやさしさとはなんぞやと、自分が想うやさしさ体現してけばいい
こわがってもいいけど
とじるなよ