勢いで書いております。そこんとこよろしくですw
無欲でないと心から穏やかに日常を過ごせない。
なにもなくてもなにも変わりなくても私は幸せだなぁと思ってる時はありのままの私。
自然に総てへ感謝が湧いてきてほんとにこの世は悲しいことや汚いことなんてあるんだろうかと思ってしまうくらい美しくて。
そしてそんな心持ちで居られる時間が増えてきてる自分が嬉しい。涙が出るくらい幸せ。
それなのにふと気づけば高望みして、
此処ではない何処かに光を探して。
強い光に近付けば眩しすぎて黒焦げになって。
落ち込むくらいなら見上げるのをやめようと何度も落ち着き、そしてまた調子にのって無謀な山登りに挑戦したくなって。。。
きっとまっとうに生きてれば、
誰もがそれなりに成長してくんだろう。
無理なく、今手の中にあるものを大切に、
総てに恋するような気持ちで居られたらもう既に幸せ。
なのに何故、時折発狂しそうな程の感情の波が来るのか。
それは、この世界にはめっちゃめちゃ素敵に輝く場所や人がごろごろ居るからだ。
まだまだ成長したいという欲求があるからだ。
音楽鑑賞とか、ライブ観に行くとか、
そういったことでそのキラキラしてる存在に触れたり、浴びたり、なにがしかのインスピレーションをもらったり。
大好きな美容院でゆったりさせてもらいながらいつもより綺麗になってみたり、
大好きなケーキ屋さんとか、ご飯屋さんとかの愛のいっぱい詰まったご馳走を頂いたり、
そんな風に愛とか喜びとかをいっぱい貰って、
日々の頑張りに変えて生きてく。
でも私はどれくらい自分の得意なことでまわりに愛をまわせてるだろうか。。
大したこと出来てない。
じゃあ、得意不得意関係なく、日々の中で用意された役割をなるだけ愛情持ってこなしていこうと思う。
あらゆるキラキラに触れながら、
その喜びを愛に変えてまわしてこうって。
でもなんだかやっぱり無理してて、
気づけば色んな狭間で勝手にがんじがらめになってて、
ひとりピリピリしちゃってて。
結局、発信する喜びを知ってしまった以上、他者からのキラキラを浴びてるだけではもう満足出来ない。
楽しそうに歌ってる人みてると絶対歌いたくなるし(^^;
それなら楽しく歌えばいい。
ただ歌えば。。
それなのに、やっぱり結局気持ちが晴れないのはなんでかなって日が多くて、
ほんとは歌いたいのに歌いたくないという、意味のわからん状態のまま、
何日も唄わずに日常をこなす。
そこで気づいたんだ。
好きなこと=ただ唄うってことじゃないってこと。
結局、心が綺麗な歌詞に追いついてかないと、
綺麗ごとみたいな、嘘くさい唄になる。
別に趣味だし、ただ楽しくなる為に口ずさむ唄くらい、どんなグダグダでもいいのかもしれん。
なのに、結局気持ちが晴れない時に上げようと唄ったところで、現実の自分はそんな美しい歌詞の世界のような愛でもなんでもないんだって、自分の中で余計にそれが浮き彫りになっちゃって。
趣味の唄くらい自分が楽しいだけでいいじゃないかって思うのに、
歌詞に心が乗らないと結局楽しめないっていう。。Σ(-∀-;)
どんだけストイックなんだよアタシゃ!!
努力も腕前も中途半端なクセにね←Σ(-∀-;)
とりあえず、なにもかも、
抜き方がわからない!!
最終的にギスギスしてるんじゃ、完璧主義なんて意味ないってわかってるし、
そもそも気力や忍耐力が中途半端なクセに理想高くて完璧主義とかいったって、
完璧どころか潰れっちまうからね。好きなことすらしたい気持ちもなくなるからね。意味ないよね、ほんと。
自分だけなら完璧主義でもそこそこ生きてけるけど、
人と生きてくから、曖昧とか、ゆるさとか、
待つこととか、合わせることとか、いっぱい学ばなきゃいけない。
だって大好きだもん、皆。
なのにいつまでも感情の波を言い訳に、
苛々して傷付けてしまう自分が嫌。
そんな自分も自分なんだけどね。
楽しめない自分とか、
堅苦しい自分とか、
めんどくさいのに離れていかないで居てくれる友達や家族に、感謝してもしきれない。
我が儘ばっかりでごめんね。
はぁ、明日思いっきりどす黒い唄歌いまくろっかなぁ(  ̄ー ̄)
Android携帯からの投稿
無欲でないと心から穏やかに日常を過ごせない。
なにもなくてもなにも変わりなくても私は幸せだなぁと思ってる時はありのままの私。
自然に総てへ感謝が湧いてきてほんとにこの世は悲しいことや汚いことなんてあるんだろうかと思ってしまうくらい美しくて。
そしてそんな心持ちで居られる時間が増えてきてる自分が嬉しい。涙が出るくらい幸せ。
それなのにふと気づけば高望みして、
此処ではない何処かに光を探して。
強い光に近付けば眩しすぎて黒焦げになって。
落ち込むくらいなら見上げるのをやめようと何度も落ち着き、そしてまた調子にのって無謀な山登りに挑戦したくなって。。。
きっとまっとうに生きてれば、
誰もがそれなりに成長してくんだろう。
無理なく、今手の中にあるものを大切に、
総てに恋するような気持ちで居られたらもう既に幸せ。
なのに何故、時折発狂しそうな程の感情の波が来るのか。
それは、この世界にはめっちゃめちゃ素敵に輝く場所や人がごろごろ居るからだ。
まだまだ成長したいという欲求があるからだ。
音楽鑑賞とか、ライブ観に行くとか、
そういったことでそのキラキラしてる存在に触れたり、浴びたり、なにがしかのインスピレーションをもらったり。
大好きな美容院でゆったりさせてもらいながらいつもより綺麗になってみたり、
大好きなケーキ屋さんとか、ご飯屋さんとかの愛のいっぱい詰まったご馳走を頂いたり、
そんな風に愛とか喜びとかをいっぱい貰って、
日々の頑張りに変えて生きてく。
でも私はどれくらい自分の得意なことでまわりに愛をまわせてるだろうか。。
大したこと出来てない。
じゃあ、得意不得意関係なく、日々の中で用意された役割をなるだけ愛情持ってこなしていこうと思う。
あらゆるキラキラに触れながら、
その喜びを愛に変えてまわしてこうって。
でもなんだかやっぱり無理してて、
気づけば色んな狭間で勝手にがんじがらめになってて、
ひとりピリピリしちゃってて。
結局、発信する喜びを知ってしまった以上、他者からのキラキラを浴びてるだけではもう満足出来ない。
楽しそうに歌ってる人みてると絶対歌いたくなるし(^^;
それなら楽しく歌えばいい。
ただ歌えば。。
それなのに、やっぱり結局気持ちが晴れないのはなんでかなって日が多くて、
ほんとは歌いたいのに歌いたくないという、意味のわからん状態のまま、
何日も唄わずに日常をこなす。
そこで気づいたんだ。
好きなこと=ただ唄うってことじゃないってこと。
結局、心が綺麗な歌詞に追いついてかないと、
綺麗ごとみたいな、嘘くさい唄になる。
別に趣味だし、ただ楽しくなる為に口ずさむ唄くらい、どんなグダグダでもいいのかもしれん。
なのに、結局気持ちが晴れない時に上げようと唄ったところで、現実の自分はそんな美しい歌詞の世界のような愛でもなんでもないんだって、自分の中で余計にそれが浮き彫りになっちゃって。
趣味の唄くらい自分が楽しいだけでいいじゃないかって思うのに、
歌詞に心が乗らないと結局楽しめないっていう。。Σ(-∀-;)
どんだけストイックなんだよアタシゃ!!
努力も腕前も中途半端なクセにね←Σ(-∀-;)
とりあえず、なにもかも、
抜き方がわからない!!
最終的にギスギスしてるんじゃ、完璧主義なんて意味ないってわかってるし、
そもそも気力や忍耐力が中途半端なクセに理想高くて完璧主義とかいったって、
完璧どころか潰れっちまうからね。好きなことすらしたい気持ちもなくなるからね。意味ないよね、ほんと。
自分だけなら完璧主義でもそこそこ生きてけるけど、
人と生きてくから、曖昧とか、ゆるさとか、
待つこととか、合わせることとか、いっぱい学ばなきゃいけない。
だって大好きだもん、皆。
なのにいつまでも感情の波を言い訳に、
苛々して傷付けてしまう自分が嫌。
そんな自分も自分なんだけどね。
楽しめない自分とか、
堅苦しい自分とか、
めんどくさいのに離れていかないで居てくれる友達や家族に、感謝してもしきれない。
我が儘ばっかりでごめんね。
はぁ、明日思いっきりどす黒い唄歌いまくろっかなぁ(  ̄ー ̄)
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