元亀元年十月、
峠に三つの影が立っていた。
小柄で引き締まった
身体つきの若い男たちだ。
夜明け前に出立した部落は
霧に覆われている。
眉の太い色黒の男が、
「狭弓、ユイには何と言ってきた」
と、隣の男に話しかける。
狭弓は、「何も」と、
そっけなく答えた。
ふたりの後ろに立つ三白眼の男は、
色黒に向かい、
「藤太、例の男の言うことは
信用できるのか」と訊く。
藤太は、
「源五、すべては賭けじゃ」
と、いった。
*
ひと月ほど前、藤太が、街道筋の村に
物資の調達に出た際知り合った男は、
「信玄が動く。一旗あげたくはないか」
と、ささやいた。
覇権を争う武将たちは、
暗躍できる優秀な人材の
雇い入れに必死だ。
信玄も同様。
「上洛にあたり、さらに人員を募っている
らしい。その気があればつなぎをとる」
と、いう。
一生を、あんな山の奥で送りたくは
あるまいと、藤太の顔を見た。
*
三人は、
男から指示された村はずれの小屋で、
三日を過ごした。
源五が三白眼を光らせて、
「いつまで待たせる気だ」
と、吐き捨てた。
狭弓が、
「藤太、その男、なぜそんな内情を
知っている?」と尋ねる。
「そりゃあ、大物だからじゃろ」
「あてにならん。お前もその男も」
「源五、元々お前を誘っていない。
帰れ」
源五は腕組みをして、
「俺は目付け役のつもりで来た」
と、藤太を斜に見た。
源五は、五年ほど前、
部落に加わった男で、
外界からみると奇跡だと、
部落を賛美してはばからない。
「狭弓、お前もこんな話に乗るのか?」
「藤太の母親に、
一緒にいってやってくれと頼まれた」
藤太が渋い顔をした。
「子ども扱いしやがって。
同い年じゃ。なぜ狭弓ばかり。
どいつもこいつも・・」
源五が、ふと、
「他に誰か狭弓を褒めでもしたのか?」
と、訊いた。
動揺を見逃さず源五が追及すると、
藤太が白状した。
条件だったのだと。
男は藤太に言った。
「狭弓という男、
十人近い野武士をひとりで倒したほどの
手練れだと聞く。
その男を連れてこい。
さすれば口をきいてやる」
源五と狭弓は、顔を見合わせた。
「罠ではないのか?
狭弓をおびき出すための」
「何のために」
藤太がいらつく。
源五が蒼ざめた。
「部落だっ。部落が襲われるっ」
戸口を走り出た源五の胸に、
幾本もの矢が突き刺さった。
*
彼らの部落は、
豊かな自然の幸を有していて、
確かな自治が行なわれていた。
それは、相応の努力の結果だったが、
敵対する部落の妬みを買うことになった。
しかし、外敵に対しては、備えがあった。
腕の立つ者が部落を守っていた。
その中でも最強といわれていたのが、
まだ年若い狭弓だった。
最近、金山の採掘を担う金掘衆が、
彼らの部落がある山に眼をつけた。
諜報の手の者が、
敵対部落の思惑を利用して仕組んだ
できごとだった。
*
部落には、狭弓ひとりがたどり着いた。
部落は焼き払われ、皆、殺されていた。
狭弓は、ひとりの女の亡骸にすがって
慟哭した。
その後の彼の消息を知る者はいない。
信玄が西進のために兵を挙げたのは、
それから二年後のことだった。
