1年前、私はPTSDの中にいました。
世の中の大半を恨んでいました。
優しくしてくれる人、自分に害を与えない人、そして“自分より下”だと勝手に思えた人にだけ、私は心を許していました。
あの頃の私は、傷ついていたんです。
でも、それを認めることすら怖かった。
誰にも見透かされないように、
誰にも負けないように、
私は強く、正しく、優秀でいようとする“仮面”をかぶって生きていました。
🌀証明し続ける人生
なにかにならなければ
なにかを手に入れなければ
どこかへ行かなければ
そんな“ねばならない”に追われる毎日。
何かに向かっていないと、私は価値がない。
誰かに認められないと、私はここにいてはいけない。
そう思い込んでいた私は、本当は誰に証明しようとしていたのかも分からないまま空っぽの承認欲求を埋めるように、必死で何かを“して”いました。
🌙自分を見失った日々
その頃の私は、「自分がどうあると心地いいのか」がわかりませんでした。
何がしたいのか、何が好きなのかも、わからない。
“幸せ”という言葉を聞いても、それが自分の中でどんな感覚なのかが思い出せなかったんです。
本当の私はどこにいるの?
問いかけても、答えてくれる声はどこにもありませんでした。
🌤昨日の朝、私は立ち止まった
昨日、ちょっとした外出をしようと準備していたとき、ふと心に問いが浮かびました。
「私は、誰のために出かけようとしているんだろう?」
「誰を喜ばせるために? 私が家を空けることで、娘や猫は幸せなんだろうか?」
そう思った瞬間、体が止まりました。
何もできなくなった。
予定していた場所にも向かえなかった。
でも、その静かな“停止”の中に、私は確かな変化を感じたのです。
「あ、ねばならないが…外れてきてる」
無理に動かなくてもいい
何かを証明しなくてもいい
“どこかへ行く私”でなくても、“ここにいる私”でいい。
そんな風に、心が語りかけてきました。
🌱ステージが変わるという感覚
今、私は「どう生きるか」のステージに立っています。
行動より、在り方。
外の声より、内なる声。
評価より、体感。
「しなければ」ではなく、「したいから」に。
「誰かのために」ではなく、「私が私を大切にしたいから」に。
私は今、ようやく“自分の人生”を歩き始めたのかもしれません。
💌もし今、あの頃の私のように…
何かになろうと必死だったり
誰かに証明しようとしていたり
一人じゃないとリラックスできない日々を送っていたり
そんな状態にいる人がいたら、伝えたい。
立ち止まってもいい。
動けなくなったその場所が、あなたの目覚めの始まりかもしれない。
その静けさの中に、本当のあなたが眠っているかもしれない。
どうか、あなた自身の声に、そっと耳を傾けてみてください。
今ここに戻ってきたとき、きっと、かつての私が見えなかった「光の道」が、見えてくるから。