私の故郷である福井県三方町(現在は若狭町)には、鳥浜貝塚があります。縄文時代の遺跡であり、私の実家の目の前にあるのです。母親が貝塚発掘の手伝いをしていたことは以前のブログに書きました。今年の夏、二男を連れて若狭三方縄文博物館に行ってきました。

 

 縄文時代の女性は非常におしゃれで、数々の装飾品が残っています。中でも真っ赤な漆塗りの櫛(クシ)は有名です。博物館の真ん中にその櫛(展示品はレプリカです)が展示されていました。そして、櫛の横に大きな真珠が展示されているのですが、実は、この真珠は私の母親が発掘したものということが分かりました。博物館を見に行った後に、実家の母親に真珠の話をしたところ、「それは私が掘り当てたもの」と言われ、大変驚きました。

 

 縄文博物館の横には、年縞博物館があります。鳥浜貝塚は三方五湖に近く、鳥浜貝塚の研究の一環として行った水月湖でのボーリング調査で年縞が発見されました。1991年のことです。その後、本格的に年縞の調査が行われました。年縞とは、湖の底の沈殿物がまるで年輪のように一年毎に綺麗な縞模様になって残っているものです。春夏秋冬で沈殿物が異なることから、1年に一つの縞ができているのです。縞の厚さは0.7ミリメートルで、約7万年分の沈殿物を1年1年確認することができます。

 

 水月湖の年縞は深さ45メートルにもなり、7万年以上の沈殿物を年単位で把握することができます。これは、珍しい条件が揃っていたからであり、他にはありません。

 

 一つには水月湖に流れ込む川がないことです。水月湖は三方五湖の一つであり、他の湖とつながっていますが、直接流れ込む川がないため、大雨があっても、湖水がかき回されるようなことはありません。

 

 二つ目の条件は、水月湖が山に囲まれているため強い風が吹かず、湖水がかき混ぜられないことです。

 

 三つ目は、水月湖の水深が34mと深く、湖水がかき混ぜられないため、湖底近くには酸素がないのです。そのため、湖底に堆積物をかき乱す生物がおらず、静かに沈殿物が積み重なっていくのです。

 

  四つ目は、水月湖が長い間少しづつ沈降し続けていることです。そのため、堆積物によって水深が浅くなっていくことがありません。水深が深いまま湖底に堆積物が溜まり続けているのです。

 

 この沈殿物の中には花粉や枯れ葉も含まれており、その中の炭素14の半減期を計算することで、世界中で発見された遺物の年代を正確に知ることができるようになりました。そのため、水月湖の年縞は世界の歴史のものさしと呼ばれています。

 

 若狭町へお出かけの際には、是非、若狭三方縄文博物館と年縞博物館に立ち寄ってみて下さい。