1 時間を浪費    

 前回のブログでは,時間よりもお金の方が難いが高いという考えがおかしいことを書きました。平均寿命80年として,私たちは80年という時間を生涯で消費します。

 時間は蓄えることも増やすこともできず,ひたすら消費するだけです。私が今ブログを書いているこの時間,皆さんがこのブログを読んでおられるこの時間は,人生にとって一度きりの貴重な時間です。

 この「時間」というものほど希少であり,価値の高いものはありません。

 

 重い病気にかかって余命宣告を受け,初めて時間の価値に気づいたという人があります。アップルを創業したスティーブ ジョブズは2005年にスタンフォード大学の卒業式で,「もし今日が人生最後の日だとしたら、私は今日やろうとしたことを本当にやりたいだろうか」という有名なスピーチをしています。彼はその1年前にがんと診断されていますが,死に直面してはじめて,命の価値,時間の価値に気がつくのではないでしょうか。

 本来,余命宣告を受ける前と受けた後で客観的な時間の価値は変わりません。時間は非常に貴重なものなのですが,その価値を知らない人がほとんどのように感じます。

 中には,「暇つぶし」をするような人さえもあります。非常に勿体ないことです。仮に 「暇つぶし」をしなくても,大切な時間を浪費していることが多いのではないでしょうか。

 

2 時間の価値が分からない理由

 前回,書いたように私たちはお金の価値ばかりに目が行って,時間の価値を理解していませんが,それはどうしてでしょうか。

 時間の価値が分からないのは,私に与えられた時間が有限であることを知らないからだと思います。このように言うと,「自分に寿命があることは分かっているよ」と思われることでしょう。しかし,この「分かっている」ということがくせ者だと思います。

 

3 分かっている

 「分かっている」と「分かっていない」の間には,ハッキリとした境界線があると思われるかもしれませんが,実際にくっきりと線が引けるものではありません。

 夜と昼は,まったく違うものと思われていますが,暗い夜空がだんだんと明るくなっていきますから,線引きは簡単ではありません。

 夜と昼の境目はグラデーションです。それと同じように,「分かっている」と「分かっていない」の境界はかなり曖昧です。

 

4 命が有限であることは分かっている

 自分の命は有限であるということは,みんな「分かっている」と言いますが,かなり「分かっていない」に近いように思います。

 いや,見方によっては完全に「分かっていない」のかもしれません。

 多くの人は,「自分がいつか死ぬことは分かっているけれども,今日や明日,死ぬことはない」と思っています。

 この思いは,明日になっても明後日になっても変わりません。来年も10年後も,この思いは変わらないでしょう。

 本当に「今日や明日,死ぬことはない」のであれば,私たちはいつまでたっても死なないことになります。

 「いつか死ぬことは分かっている」と言っていますが,それは一般論としてであり,自分が死ぬということはほとんど「分かっていない」領域にあるのではないでしょうか。

 

5 時間は無限?

 死ぬことが分かっていないということは,「自分に時間は無限にある」という思いになります。時間が無限にあるとすると,それは希少ではありません。時間の価値は急激に下がります。

 だから,お金の価値よりも低くなってしまっているのではないでしょうか。

 

 パチンコ,ゲーム,テレビ,スポーツ観戦,SNSなど,湯水のように時間を消費していますが,それらは私にとってどういう意味があるのか,よく考えなければなりません。

 以前のブログに書いたように,私たちは脳内快感物質のドーパミンに支配され,ひたすら快感を求めて時間を消費しているのだと思います。

 私自身も深い反省が必要です。

 

 まず,時間の価値が如何に高いものであるかを自覚したいと思います。そして,貴重な時間を何に使うべきなのかをしっかりと考え,自分にとって本当に大事なことに時間を投入していきたいと思います。