1 忘れられない出来事
以前の私の事務所は,貸しビルの2階にありました。ビルの1階から階段を上がっていって事務所の玄関に行き着くわけです。
ある時,高齢の足の悪い男性が相談に来られまして,その階段を杖を使って,やっとやっと上がって事務所に来られました。
私が相談の内容をお聞きしたのですが,なかなか難しい問題でした。裁判をしても,まず勝つのは難しい。そういう内容の相談でした。そこで,私は,「それはこういうことで駄目ですと。こういう理由でうまくいきせん」と説明しました。私は,間違ったことはひとつも話した覚えはありません。法的に正しいことを話しました。
ところがその話をしている途中にその人が立ち上がって,怒って「もう帰ります」と言われて帰って行かれました。足の悪い方で,杖をついておられたんですけども,杖を2階から下へ投げ捨てて,階段にお尻をつけてズルズルっとずり落ちるようにして,帰っていかれました。
腹が立って,本当ならスタスタと走って帰りたいお気持ちだったんでしょうけども,足が悪くてそんなことも出来ないから,そのようにされたと思います。もう20年近く経ちますが,その時の光景を忘れることはできません。
正しいことをいくら言っていても,納得してもらえないのです。満足されなかったんです。こういう事案でどうなるか,正しいアドバイスはしているけども,納得してもらえない。いくら間違いのないことを言っていても,それだけでは駄目なのです。
まず,相談に来られた方の話をよく聞いて,よく理解して,共感しなければなりません。それがなかった,あるいはその共感が伝わらない状態のまま,いくら正しいことを説明しても,納得はできません。逆に腹が立つだけとなります。
この出来事は,どうしたらお客さんに納得してもらえるのか,そういったことを考えるきっかけになりました。
2 相談者が求めているもの
相談者がもとめているのは,法的知識や法的アドバイスだと思っている弁護士が少なくありません。それは表面的な見方であり,相談者が弁護士に求めている価値は「納得」です。
どうすれば納得を提供できるのでしょうか。私の失敗談からも明らかなように,正しい知識を提供したり,正しい法的アドバイスを提供しても,それだけでは納得はされません。
まず,大切なことは,「この人は私のことを理解してくれている」という実感です。「この人は私の味方である」という信頼です。
「まったく私のことを分かってくれていない」と思われたならば,何を言っても心には入っていきません。
3 Cure(キュア)とCare(ケア)
医療界ではCure(キュア)とCare(ケア)の議論が盛んです。キュアは生物医学的な疾患を医学的な治療によって治すもので,ケアは病いに悩む患者に対し,全人的なアプローチをするものと説明されます。
そして,今日の医療では,「ケア」と「キュア」を単純に二分化することはできず,両者の融合が重要となっています。
これは弁護士にも当てはまります。弁護士にとってケアとは何かを考えていきたいと思います。