前回の記事を書いてからこっち
遠い昔へと誘(いざな)われ
懐古の念に駆られることしばし。
 
 
 
幼少期~学童期前半
私はとにかく内弁慶で
自分の主張をすることができない
消極的で
臆病な子どもだった。
 
 
た~んすながもちどの子がほしい
『はないちもんめ』
うちの地方ではジャンケンではなく
引っ張りっこだったので
体が小さく泣き虫だった私は
力も弱いとされていて
きまって最初に指名され
その後も
何度も何度も取引きされたw
 
 
各種鬼ごっこも同様で
強い鬼さんは
おとなしくのんびりしている私を
一番に追いかけてくる。
逃げても逃げても。
 
 
悲しくなって泣いてしまうと
ほかの子が
私の親に伝えに行ってくれて
(↑定例行事w)
 
夕刻の
商売が一番忙しい時間なので
母の代わりに現れたのは
補助輪つきの
小さな自転車に股がった弟だった。
「お姉ちゃん、帰ろう」
 
 
いじめられていたわけではない。
みんなと遊ぶのは楽しかったし
時々
遊びによっては
私のそういう特性が現れ
邪魔をしていただけ。
 
 
 
小3の春。
新しく赴任して来た
熱血漢の女教諭が
私たちの担任になった。
 
その先生との出会いが
私を大きく大きく開花させてくれた。
 
みるみる私は
水を得た魚のように
生き生きとして
自分の中に眠っていた
本来の素性が
むくむくと
頭をもたげてきてた。
 
 
そして30年後
大人になって再会した時
先生の口から明かされた話は
こうだった↓
 
こんなに感受性が豊かで
いい顔で笑う子なのに
42人の陰に隠れて
埋もれているのはもったいない。
この子をなんとか救わなければと
本気で思っていた…
 
と。
 
 
ひとクラスしかない
小さな田舎の学校。
その先生は
5.6年の時も私たちを受け持った。
 
 
あらっ?!
ひゃっだ、涙が出てきちゃったw
 
笑い泣き
笑い泣き
 
 
その熱血先生とクラスメイトの写真が
コチラ↓
 
 
この写真、
2年前にもブログに載せたことがありますね。
5年生の時かなぁ。
後方、麦藁帽子にピンクのシャツが先生。
中央右寄り黄色いTシャツが私です。
 
 
 
てか。
 
 
ちがう!
ちがうの!!
 
こういうことを書こうと
思ったんじゃなかったのよw
 
もーね
いつも脱線する。
いや、今日の場合は
最初から間違えたw
 
というわけで
 
↑の続きを知りたい方は
ウェブで検索w
 
 
ちゅー
 
 
というわけで
学童後期からの私は
図々しいまでに明るい子へと
転身を遂げた。
(そのまま今に至るw)
 
 
手紙ごっこ
という遊びは私が発案した。
 
 
5年生で流行り始めた
交換日記
(たしか6人くらいでやってた)
では
シールをペタペタ貼ったり
耳寄り情報とか
今日のまるる占いとか
みんなを笑わせるのが
楽しくてしょうがなかった。
無論、てきとーな嘘八百だったに違いないw
 
 
そして屋外で
ハンドベースボールやら
秘密基地を作ったりして
遊んだのも
この頃だったか...。
 
 
 
ここまで追想が及んだとき
どうしてもまた
あの映画が観たくり
視聴する。
 
 
何回観たかわからない。
昔の友達のことを思い出させてくれ
私のノスタルジーをくすぐる
1986年に公開された
不朽の名作。
 
 
少年4人が
死体探しの冒険に出る
 
これだあ↓↓
 
 
 
 
この音楽を聴くと
自然と涙が浮かんでくる。
12歳の少年たちの
冒険心と温かい友情が
尊すぎます。
 
 

 
リーダー格のクリス役をしていた
リバーフェニックスは
多量の薬物摂取により
23歳の若さで
亡くなっているんですよね。
 
 
登場する4人の少年は
性格もタイプもバラバラだけど
だからこそ
とてもバランスがとれている。
 
 
先日、娘のRUKAが言ってました↓
 
友達はいろんな価値観の
様々なタイプがいたほうがいい。
なぜなら
なにかを決心したときに
「いいと思う!」と
エールをくれる友達だけじゃなく
反対してくれる友達の存在
絶対に必要だと思うから。
 
 
 
しかし、あれですね。
 
少年が何人か登場するお話って
必ずと言っていいほど
 
リーダー格
めがね
太っちょ
気弱
 
という設定w
日本もアメリカも
そこのスタイルは変わらず。
 
 
 
最後に
『スタンド・バイ・ミー』
の中の私の好きな名言を書いて
終わりにしたいと思います。
 
 
ゴーディーが
「俺を変な奴だと思う?」
と聞いた時
クリスが言ったひと言。
 
ああそうだな。
だからなに?
変じゃない奴なんていないさ。
 
 
大人になったゴードンが
原稿にタイピングした言葉。
 
12歳当時のような友人を
私はその後、持ったことがない。
 
 
映画の冒頭で
大人のゴードンが言った言葉。
 
私はオレゴン州の小さな町
キャッスルロックに住んでいた。
人口はわずか1281人。
しかし
当時の私にとっては
それが世界のすべてだった。
 
 
そうだ。
 
私もまた
記事の前半に書いたあの頃は
そこの世界が
わたしのすべてだったのだ。