今日は、私の大好きなブロ友さんのひとり
junちゃんobaちゃんの
【幸せの光景】
という記事をリブログさせてもらいます。
じゅんちゃん(←私はブログ内でこう呼ぶ)
と、私まるるは、同郷であり同い年。
とは言っても、
幼な馴染みとか学校の同級生ではなく
ここアメブロで、私が彼女を見つけ
彼女が私を拾ってくれた。
私がブログをお休みしてた2年間の
その前からだから
ずいぶん長い付き合いになる。
私たちは島根産の51才であること以外にも
幾つか共通点があるので
私たちは私たちのことを
双子のリリーズと呼んでいる。
ただ、ちがうのは
じゅんちゃんは
とても聡明な美人さんであるのに対し、
私はとても残念な女…
お察しください

さて、紹介が長くなりましたわね。
まずは彼女が書いたこの記事を
お読みください

じゅんちゃんは文中で
何気なく切り取った光景に
幸せ感を見出した
と言っていました。
それは
たとえば、同じ映画を見ても
見る人によって感想が様々であるように
同じ光景を見ても
誰しもが心に響くものではきっとなく
それは、彼女の伸びやかな感性と
どんなに小さく
見過ごしてしまうような出来事でも
敏感に且つ素直に感じ取り
それを幸せだと感じる
しあわせ体質
だからなのだろうな、と分析します。
(↑いきなり評論家ちょー、笑)
そんなじゅんちゃんを、
とても素敵だな、と思いました

有名な、相田みつをさんの言葉に
しあわせはいつも自分の心が決める
というものがありますが、、
どんな環境に置かれようと
自分がしあわせと感じていれば
人になんて思われようとも
しあわせなんですよね。
自分の身の回りに起きる出来事は
すべて、喜怒哀楽に支配されていますが
いつも幸せそうに見える人がいます。
そういう人はいつもきまって笑顔です

でも、もちろん、その人にだって
怒りや悲しみや苦しみがないわけではなく
それを上手に
プラスに変換しているからだと思います

たとえば、些細な事ですが
長年愛用していたものを
どこかに落として失くしてしまった・・・
ショックにうちひしがれるけど
でも、
また新しいものが買えるじゃん!
と思えばいい。
きれいごとかもしれませんが
きれいごとであったとしても
そのようにとらえる方が
はるかに生きやすいと思うのです。
先日、お義母さんから
ささやかな幸せを感じる言葉を
頂戴しました。
おとうさんがね、
おとといのシチューも
鶏のひき肉とはんぺんで作った
ミートボールも、、
全部きれ~~いに食べてたよ!と。
まるるさん、いつもありがとうね!と。
わたし・・・
その言葉に、まさかの号泣

予期せぬ涙にゃ自分でもびっくりで
おかあさん、どうしよ~~~ぉ、
なんか涙が出て来た~~~~ぁ!って
子供みたいに叫んでたわ。
お義母さん、きょとんとしてたけど

お義父さんの治療食を作るのは
時間もとられるし大変だけど
料理の勉強にもなるし、
何より、
喜んでもらえることは
自分の喜びにもなりますよね。
ありがとうに、ありがとう

お義父さん、食べてくれてありがとう
お義母さん、言葉で伝えてくれてありがとう
朝ドラの『半分、青い』で
左耳を失聴したヒロインの鈴愛ちゃんが
左耳にひびく耳鳴りを
小人がお祭りをしていると表現していた。
この先、彼女は
間違いなく、幸せになれるはず

庭に咲いた山吹の花を
小さな小さな一輪挿しに差してみました。
(大内宿に行った際に買ったものです)
うふふ、小さな、し・あ・わ・せ

今日は、
ブロ友じゅんちゃんのリブログ記事から
幸せについて書いてみました。
最後まで読んで下さった方、
ありがとうございます
