午後12時21分
私たちに2人めの子供が誕生した。
今日のブログは
成人式を迎える息子RUKIの
20年間の成長の記録を
当時の家族新聞を織り交ぜながら
写真と共に振り返る
備忘録としてまとめてみました。
「おなかの赤ちゃんは
ミッキーのサンダルを履いてたよ!」
夢にでも出て来たのか
姉のRUKA(当時3歳)の予言通り
赤ちゃんは男の子だった。
元気に生まれてきてくれた赤ちゃんに
私と家族はおおいに喜んだ。
名前は
いつも明るく笑っていてほしい・・
という願いからつけられた。
・・・。
しかし、生まれて間もなくの授乳時に
私はある違和感を目にする。
心配になって看護師さんに尋ねた。
なんでうちの子は
こんなに肌がぽつぽつ赤いんですかね?
「肌が弱いんだろうねぇ」
その時は、ああそうなのかと、
それほどまで気に留めなかったが
みるみる肌は悪化し
のちに、アトピー性皮膚炎と診断された。
痒くて痒くてかきむしり
顔や体は赤くなった。
血でシーツが汚れた。
ガーゼでミトンを作ってやったが
思うように掻けないことで
よけいに泣きじゃくる。
毎晩毎晩、痒みで何度も目を覚ます。
抱きしめて体をさすりながら
一緒に泣いた。
ため息をつく私に旦那が言った。
「母親がどーんと構えてなくてどうする!
一番つらいのはRUKI自身だぞ!
これで治るといいね!じゃなくて
治る!って信じないと・・・。
弱音を吐くのなら、
10のうち9頑張ってからにしろ!」
小さなRUKAも言った。
「大丈夫だよ、ぜったい治るよ!」
旦那の前向きな姿勢と
RUKAの明るさに救われた。
RUKAの手とRUKIの手。
私たちは色んな情報を入手して
よいと言われるものを片っ端から試し
アレルギーの要因になるものは排除し
生活環境も整えた。
抗アレルギー剤と抗ヒスタミン剤を
飲むようになったら
そのせいで日中もよく眠るようになり
少しずつ少しずつ快方に向かった。
ただ、今になって残念に思うのは
可哀想で赤ちゃんのときの写真を
あまり撮ってこなかったこと…。
もっと撮ってやればよかった。
ありのままのRUKIを残してやれば
それでよかったのにな。
栃木に越して来た3歳の頃には
アトピーはだいぶ落ち着いていたが
今度は、喘息が発症した。
いわゆる、アレルギーマーチというやつだ。
小学校にあがるまでに3度入院した。
吸入器でケアをする毎日。
幼稚園に入園すると
通園に車は使わず
毎日ふたりで手を繋いで歩いた。
雨の日は傘をさして。
体力をつける目的もあるけど
手を繋ぐことなんて
きっと今だけだと思ったから。
年長さんで器械体操を始めた。
(写真はないが、スイミングも始めた。)
初めて登山に挑戦した、乗鞍岳。
小さい子が、
走るようにすたすた駆け上がる姿に
まわりの登山者から感嘆の声をもらった。
しかも、蛇行した道を無視して
一直線に登るから
「ずるい!」ってRUKA姉さんは
口を尖らせた
小学校入学
小学生になると、体力がついてきて
喘息の発作もほとんど起こらなくなった。
そして、それと同時に
私たち夫婦がその後、
何より一番驚いたのは、、
RUKIの身体能力だった。
幼稚園の頃から
跳び箱や縄跳び、鉄棒などで
その片鱗を見せてはいたけど、
小学校高学年では
新体力テスト(スポーツテスト)で
すべての種目の得点が
8点以上の児童に送られる「S認定証」を
もらうほどにまでなった。
体が弱かったあの頃には
到底予想もしなかった未来図だった。
2年生で野球を始める。
高学年では、ピッチャーを経験した。
5年生になると
陸上や駅伝の大会にも出場した。
運動会ではピラミッドの頂上になった。
チビだから
6年生のときには
はじめて富士登山に挑戦した。
しかし、頂上を目前にして
RUKIが高山病にかかり
泣く泣く下山をした。
とても悔しく残念だったけど…
人生にはどうにもならないこともある、
あきらめることも時には必要なんだと
山が教えてくれたから
それはそれで良かったんだと思った。
リベンジのチャンスは3年後、
中学3年生の夏休みにやって来た。
家族でもう一度、
富士山のてっぺんを目指した。
そして、
9時間かけて頂上に辿り着いた。
じつはこの時も
RUKIは頭痛に苦しんでいたようだが
泣き言はひと言も言わなかった。
そして、
足が限界で今にも倒れそうに
よたよた歩いている私の手を
何も言わずにつかんで
手をひいてくれたのは
旦那でもなく娘のRUKAでもなく
先に登った山頂から
迎えに下りて来てくれたRUKIだった…。
次に手を繋ぐのは
介護のときか?なんて思っていたけど
幼稚園以来、
久しぶりにRUKIと手を繋いだ。
中学でも、もちろん野球部
体育祭
高校では
ハンドボール部に入った。
教室で、変顔。
高校2年時の離任式で、、
全校生徒の前で
先生から
「クレヨンしんちゃんみたいな子」
と名指しで称されたそうです
姉のRUKAとは大の仲良し
(この写真は中学生のRUKIですが)
現在は私たちのもとを離れ
医療系の大学で学んでいます。
シャイなくせに
人に笑われるのが好き。
後ろからついて行くタイプだけど
人に流されることはない。
クールに見えるけど心根は優しい。
ふざけているけど真面目。
こだわりがあるけど全体が見える。
興味があることにはまっしぐら。
きれい好きなわりにだらしない。
よく落とす、よくなくす。
やるときはやる。
やらないときはやらない。
極端な野菜嫌いだったが
むしろ一人暮らしになったことで
意識改革したのか
少しずつ食べれるようになってきた。
頭痛持ちだが、
最近は上手に付き合えるようになった。
20年RUKIを見て来たけど
親の私がわかっていることなんて
こうやって考えてみると
思ったほど多くないのかもしれない。
人間としてはまだまだ未熟。
ダメなところもてんこ盛り。
でも、人様に迷惑だけはかけないで。
これからも
いっぱい失敗するだろうし
泣くこともあるだろうけど、日々精進。
そのたびに、自分の力で気づき、考え、
立ち上がって笑いなさい。
明日、こちらに帰って来て
いよいよ明後日、
成人式の式典が行われます。
今日まで元気に育ってくれて
ありがとう
七五三以来の晴れ姿、、
目に焼きつけて来ます
長い長い親バカ記事を
最後まで読んでくださった方、
どうもありがとうございました~。
今日のコメント欄は
閉じさせてもらいますね。
あしからずです