本日の記事は
本気で書いてます。
そこんとこ、よろしく!
いや、いつも本気ですけどね。
(「本気」の使い方~~)
今日、5月12日は
私の父親の命日です。
平成21年に71歳で永眠。
今年で8年になります。
大好きだった父。
今でも、父の声は
そのままの響きをもって聞こえ
思い出す表情はいつも
大きな口を開けた笑い顔です。
お父ちゃん、
いつも私の大切な家族を
見守ってくれてありがとうね
亡くなった当初は
まだブログをしていなかったのですが
3回忌の年に父親のことを
2回にわたりブログに綴っています。
【父・・・】
と
【お父ちゃんへ】
【父・・・】のほうは
父と永遠のお別れをするまでの
経緯について書いていますが
ここでは、
天国の父へ宛てた手紙、
【お父ちゃんへ】をリブログしました。
スルーして下さって構いません。
この手紙を書いてから6年。。
記してる内容と現在の生活は
やや違うものになりました。
RUKAは、看護師免許は取得しましたが
けっきょく、
もうひとつの夢だった職に就きました。
私がブログをお休みしている2年半の間に
父の7回忌も終わり
母が1人で細々とやっていたお店は
隣接する町役場の拡張に伴い
立ち退きにて閉店しました。
お店は家族の住居でもあったので
父との思い出がたくさん詰まった実家は
今はもうありません。
当時、ブログをお休みしていなかったら
きっとその溢れんばかりの思いの丈を
記事にしただろうと思います。
お店の解体の日、
地元の友達が写真を送ってくれました。
ここからは、母の話になります。
母は、嫁いで来て50年の長きにわたり
商売一筋、身を粉にして働いてきました。
今は亡き、厳しかった舅と姑に仕え
それはそれは苦労をしてきましたが
母の口から愚痴や泣き言を
私は当時、一度も聞いたことがなく
商売をしているからこそ
その苦労を顔に出したこともありません。
そんな母にとって
支えてくれた父との別れ、、
そして、
半世紀を捧げてきたお店を畳むことが
どれだけ辛く寂しいことだったか
娘の私には痛いほどわかります。
生き甲斐をなくし
一気に歳をとってしまうんじゃないか、、
と、当時、その胸中を案じましたが
母は言いました。
それがね、お店を閉めたことは
不思議と寂しいとは思わないんだよ。
後悔もまったくない。
本当に大変だったけど
いつも一生懸命だったからね
精一杯がむしゃらにやってきたからね
やり遂げたという気持ちが大きく
今は、すっきりした清々しい思いだよ。
時代の流れでいろいろなことが
変わっていくことは仕方のないこと。
これから第3の人生は
きっと楽しいことがいっぱい。
母の明るさと強さに救われました。
昨日の朝ドラ『ひよっこ』で
寮の舎監である愛子が、みね子たちに
自身のこれまでのことを
いろいろあったからね、
辛いことや悲しいこと・・・
だから私には、
これから幸せしかやって来ないのよ。
と言っていましたね。
母のことを思いました。
お店の営業最後の日に
「長いあいだ、お疲れさま」という意味で
花束と孫からの手紙を母にプレゼント。
そして、その後、
2冊のアルバム↑を母に渡しました
のアルバムが、
島根で過ごした孫たちの写真。
そして、のアルバムが
お店(住居)の写真です。
立ち退きが決まったときから
私が撮りためていました。
父と母の部屋はもちろん、
キッチンからお風呂、トイレまで。
身長を刻んだ柱も
色褪せたカーテンも・・・
ぜんぶぜんぶぜんぶ。
閉店のその日に
お店の前でみんなで撮った写真も
添えました。
RUKAとRUKIも
このお店とおばあちゃん家が大好きで
本当に残念がっていて
父の七回忌のときは
二人で解体作業中のお店を
覗きに行ったりしてました。
母は現在、
私の弟夫婦と孫ちゃんと
お店から少し離れた場所に
二世帯の新居を構え
毎日のようにお友達とお出かけしたり
お茶を飲んだり習い事をしたりして
ゆったりと暮らしています。
とりとめもなく書きました。
明後日は、母の日ですね