島根日記①では
皆さんに余計なご心配をおかけしたようで
「なんだか気になって・・・」と
メッセージやらメールをいただきました。
ごめんなさいね、大丈夫です
今回は、4泊5日の島根滞在。
子供が小さい頃は、2週間くらいドカンと
帰省していたものですが
仕事を始めた今は、せいぜいこんなもんです。
(いや、これが普通なんですけどね
)
島根日記②祈る・・・ですが、
長くなりそうなので、前編と後編に分けました。
この前編では、お母ちゃんのことを記録します。
父が亡くなってから、実家には、
がひとり。
弟夫婦も近くには住んでいますが
お店を1人で切り盛りしながら頑張っています。
何十年も商売一筋に生きてきたお母ちゃん・・・。
その母の老いた姿を感じ始めたのは、ここ2,3年か。
よりも5cm以上高かった身長を私が抜いてしまった。
いや、正確に言うと、母が小さくなってしまった。
腰も、少しだけ、くの字に曲がり・・・
足腰もすっかり弱くなってしまった。
現在、72歳。
親孝行をしてやりたい、
父が亡くなってから切に思った。
生きてるうちに親孝行をしなければ、なんの意味もない。
しかし、私が母に会えるのは、365分の5日間。
旅行に連れて行ってやりたいけど、、、
美味しいもの食べさせたいけど、、、
店を休むわけにはいかない、
おばあちゃんを置いていくわけにはいかない、と母は言う。
(私の祖母のこと)
けっきょく、この5日間で私にできたことは
朝昼晩、3食のご飯を作ってあげたこと・・・
(ふだん食べてる量なんて、1人前にも満たないだろう)
そして、当たり前のことだが、掃除、洗濯、
あとは、毎日、腰と足のマッサージを1時間ほど。
「腰を揉んで!」なんて言ったことがなかった、辛いんだろう。
「去年あんたが作った五目ビーフンが美味しかったっけん、
今度帰ったら、また作って!」
なんて、栃木に帰る前の晩になって、寝床で言うもんだから
慌てて早起きして作った。
今度作ってあげれるのは、1年後なんだよ、もー早く言ってよ。
このお盆中、ここ、私の故郷である町では
夜になると、短歌の書かれた行燈が商店街に並んだ。
奥出雲町の観光情報を発信するWEBサイト『奥出雲ごこち』が
恋をテーマにした短歌を全国から募集していたもので
その中から選ばれた作品が、蝋燭の灯りとともに
人の心と町を照らしていた。
幻想的な世界が広がる。
与謝野鉄幹・晶子夫妻も、この地で吟行し、
歌を詠んだことにもちなんでいるらしい。
何個か印象に残った作品をカメラに収めてきた。
栃木県小山市からですね!
東日本大震災のことを詠まれた詩もありました。
この行燈に火を灯し、並べていく作業に
町の商工会の男の人に混じって、私も参加した。
夜の7時に出して、10時に片づける。
久し振りにお会いする商店街の人たち・・・。
中には、知らない人もいる。
最終日の15日、ひとりの男の人が声をかけてくださった。
「覚えてますか?うちの息子と病院で一緒でしたよね」
「あ、覚えてますよ!えっと、RUKAだっけ、RUKIだっけ?
たしか、平成6年の3月のほうですよね!」
「そうです、そうです、6年3月の終わり・・・。
今日、成人式だったんです!」
その方の息子さんとRUKAは、産院で一緒だった。
うちの田舎では、お盆に成人式が催される。
思いがけない偶然の出会いと、20年の時の重みが
暗闇の中で、私の胸をくすぐった。
行燈を出し終わり、家に戻ると
お母ちゃんが、行燈を見たいと言う。
2人で、歩くことにした。
少し距離を歩くときは杖を使う。
このことは、今回の帰省で初めて知った。
花柄のかわいいステッキだった。
ひとつひとつの行燈に書かれた短歌を噛みしめながら
2人で歩いた・・・・。
等間隔で置かれた行燈を10個も数えただろうか、
「もう、お母さん、歩けそうにないけん、戻るね。」
うそ、まだ、いくらも歩いてないじゃん、、、、
もう歩けなくなっちゃったの?
「わかった、気をつけて。私はもう少し回って帰るけんね」
それからは、行燈を見ながらも、
心の中は、お母ちゃんの現実にとらわれて胸が震えた。
行燈の灯りが、ジワジワと私の目の中で滲んでいった。
この行燈を見ながらお母ちゃんと歩いたわずかな距離を
私はきっと一生忘れないだろう・・・。
栃木に帰る日の朝、別れのとき
私はお母ちゃんを直視できなかった。
涙があふれそうで、そっけない態度をとってしまった。
だめだな、いっつもこーだ、ごめんね、お母ちゃん。
来年、また会うまで元気でいてよ、心の中で叫んだ。
弱いのは、私だけ。
いろいろあるけど、心配するのはよそう。
お母ちゃんは、いつでも明るくて前向きだ。
弟も弟のお嫁さんも、お母ちゃんにとてもよくしてくれている。
ありがたい、ほんとにありがたい!!
先の心配より、今目の前のことをひとつひとつ頑張ろうと思う!
そうお母ちゃんが言っていた。
私の現実に向かって、車のエンジンをかけた。
早く、栃木の家族に会いたくなった。
後編に続きます