Like a rolling stone

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神戸学院大学にギリギリの成績で入学→テニスインストラクター→スターバックス→インドネシアの村で少し暮らす→PlanDoSeeでアルバイト→ザメディアジョンインターン→マイナビ入社 現在は大阪を拠点として転職領域の求人広告のコンサルティング

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会社に入ってから頻繁に

「お前の笑顔は胡散臭い」

とか

「ほんまに思ってるの?」

などと言われるようになった。

これは大学時代や
地元岡山に住んでいたときには
言われたことが
殆ど無かったことだ。

さらに、会社に入って初日に、

「あんたの笑顔
ほんまに胡散臭いわ。
やめた方がええで」

と、ある先輩に言われて
かなりイラっとしたこともある。

ただ私はその人のことを

「この人は人生で色々経験した結果心が腐ってしまい素直に他人の笑顔を受け入れられない可哀想な人だ」

と解釈をしていた。

がしかし、最近その自分の笑顔に対しての酷評(?)が社内にいるときだけ妙に酷いことが分かった。

社外ではまるでそんなことはない。

むしろ、

「いつも爽やかでイイですね」

とか

「私まで元気になれます」

とかこっちサイドの評価の方が多い。

この違い、何故だろうか。


自分は人より
「笑顔」に自信が正直ある。

本題に入る前にこのルーツについての分析をしてみることにする。

自分は小さい頃から「笑顔」が
ポジティブな意味で印象的な
子供だと認識されていた。

中学や高校時代は
友達の母親から自分の母親伝いに、

「御宅の息子さんはいつも
笑顔で感じが良いわね」

といった意味合いの言葉を
よくかけて頂いていた。

その度に母親は喜んでいた。
母親も父親も良く笑う人だ。

そしてこの自分の「笑顔」を
育てたルーツを探る作業をする際に、
親以外の要因を考えてみた。

小学校時代にも
よく笑っていた子供だったが、
小学校時代は皆のリーダー的役割を
担うことが多かった子供だったこともあり、
若干「キレキャラ」であったため
それ程笑顔を褒められた記憶は無い。

となると、
今の「笑顔」のルーツは中学校時代にあり、恐らくそれは大人に混じって
テニスの練習をしていたからだと思う。

子供ながら大人に
よく気を遣っていたと思う。
理由は二つで、

・テニスコーチである親父の顔に泥を塗りたく無いから

・試合に勝つためには練習相手になってもらわなくてはならないので、大人達に嫌われないようにするため

が考えられる。

いわゆる、
自然に生まれた「笑顔」ではなく、
自分を守るために生まれた
「笑顔」なのだ。

だから、恐らく今の会社では
「胡散臭い」
とかいう評価を受けるのだろう。

そう考えてみれば、伝わる人にはしっかりと伝わっているのだなぁと反省するばかりである。


ただ、自分はあのときに培ったこの能力で得をしてきたことの方が多いように思える。

人見知りは一切しなくなったし、
社交性も人よりは高いという
自負がある。

そして何より、

「自分の周りの人に笑顔が伝染するようになる」

という結果を得られた。
自分がハッピー(そうに見える)だと相手もハッピーになり距離が一気に縮まり勉強になる話や体験を人より得られ易くなったり、本当に大切な友達は笑顔が素敵なメンツが実に多い。


そして彼らの笑顔を見ていると
自分もハッピーになれる。


ソフトバンクの
孫社長の言葉にあるように、

【麗しき誤解のうちに、他人の褌で勝負する】

(大きな夢や目標を口に出していると、勘違いして本当に凄い人が集まってくる。そしてその人の力を借りて、気づけは一つ上のステージに自分が立てている、ということもひとつの力)

こんなことも実際に起こり得る
と自分は思っているし、
人を惹きつける力は有難いことに
ひとつの才能だと思っている。


そんなこんなで、これからも
「笑顔」を絶やさないことを
意識することによって、
周りに起こるポジティブな影響を
コントロール出来るような人材に
なりたいと思う。

表明的なようで
実に内面的に大切だと
思っている要素を偉そうに
語ってしまったが、

それと同時に、
そのような素敵なオーラを放つ人がいれば今後惹きつけられていたいし、
頭ごなしに否定してしまうような
「腐ったリンゴ」には
なりたくはない。
これは反面教師として。