マナについての基礎知識 応用編〜マナを自由に扱えるようになるには


実は、マナを得る方法は前述の①〜⑤以外にもあります。
それは自分の意思で、マナを思った通りに自在に扱えるようになる事です。

●一つはその道の達人になる事です。気功と呼ばれる技術などがそうです。例えば熟練した気功師になれば、練気という形である程度マナは自在に扱えるようになります。
ただしその場合、マナは自身で作り出さなければなりませんから、一日のうちで使えるマナの量には限度があります。
また、実際にマナをある程度扱えるようになるまでには最低でも10年くらいは毎日弛まぬ鍛錬が必要です。

●もう一つが『マナ・コレクティオ』と言う調整です。
これは、謂わばマナのパイプを引いてくるための基礎工事です。

●それまで①〜⑤の方法でしか得る事ができなかったマナを、いつでも好きな時に使えるようにする為の調整です。
マナ・コレクティオ(調整)を受ける事で、24時間365日、何時でも何処でもでも好きな時に好きなだけマナを使う事が可能になります。

●そしてこの方法の良い所は、自身のなけなしのマナを持ち出しで使う訳ではなく、マナのパイプから供給される無限のマナを引いてくるだけなので、いくら使っても疲れないという点です。
その気になれば24時間ずっと使いっぱなしという事だって可能です。

●これにより、今までのマナの供給源だった①〜⑤以外に6つ目のマナの供給源を得た事になります。

●それで何が変わってくるのかといえば、新たなマナの供給源を得た事で、これまでのように①〜⑤のマナの補給の仕方ばかりに拘ることがなくなります。
例えばマナが不足した時につい食べ過ぎてしまう(過食)必要もなくなりますし、煩わしい人間関係(マナの与え合い/奪い合いの争奪戦)にも参加しなくてもよくなってくる訳です。

●目に見えた変化としては、それまで選んで来た食の好みが変わったり、これまで付き合って(付き合わされて)来た人間関係も等も大きく変わってきます。その結果、自身の暮らしをそれまでとは全然違った環境、ライフスタイルに変えて行くことが可能になります。

●簡単に言えば『選択肢が増えて、とても楽に暮らせるようになる』という事です。




          ★




●またそれだけでなく、マナが不足して困っている人に対しても、自らの溢れんばかりのマナをいくらでも与えることだってできるようになります。
これはつまり、自身のなけなしのマナを削ってまでしなくとも、ムリすることなく愛情の溢れた人になる事ができる。という訳です。

●マナを使って他者を癒す、つまり、マナの水面が下がってマナ不足になっている人に、必要なだけマナを注ぐ事ができる。というような事は、これまでは例えば気功を扱える人などの、ごく一部の人にしかできない事でした。
しかし気功等の場合、大抵自らのエネルギーを削って人に与える事になりますので、施術者には大きな負担がかかります。
気功の先生が一日に数人施術するとグッタリとしてしまうのはこの為です。

●しかしマナ・コレクティオによって引いて来るマナは、謂わばマナのダムから直接パイプを繋げて引いて来ますので、マナを使う事で自身のエネルギーを削ってクタクタになる、というような事はありません。

●それどころか、使えば使うほど、自身の中を大量のマナが通る事になりますから、使えば使うほど自身もマナに溢れた元気な状態になってしまいます。

●このようにマナ・コレクティオによってマナを自由に扱うようになると「使えば使うだけ自分もマナに満たされる= 楽になる」という、それまでにはなかった面白い循環が生まれる訳です。




          ★


【縁】としてのマナの場合。

マナが少ないと、文字通り「縁がない」という状態になります。

縁がないと繋がることがありませんし、繋がったとしても、すぐにその縁は切れてしまうものです。

人間同士の長続きしない関係や個人と組織との関係、また組織と別の組織との関係も全く同じです。その間に【縁=マナ】がなければ、関係性が薄らいで行くか、繋がりが切れてしまう事になります。


【愛情】としてのマナの場合。

これも文字通り「愛情不足」という事になります。

愛情のない殺伐とした空気の中では、マナはどんどん漏洩してゆく事になります。

愛情の薄れてしまった人間関係は言うに及ばす、

人が住まなくなって愛情を注ぐ事のなくなった廃屋が荒れ放題になっているさまを見ると、その事がよく理解できると思います。



【美】としてのマナの場合。

美としてのマナを感じない、という事は「魅力がない」という状態です。

【美=マナ】がない状態ですから、もちろん美しさを感じる事も少ないですし、何より魅力の感じないものや人には、人が惹きつけられることもありません。



そしてマナには水のように高い所から低い所へ流れる、という性質がありますから、時にはマナが不足する(マナの量=水面が下がる)事で、周りからマナが流れ込む。という事が起こります。

つまり、マナの不足した(マナの水面が低い)人や物の近くに行くと、マナがどんどん奪われてゆく、という事なのです。


マナが貰えるか、奪われるか、についてとても敏感な私たちにとっては、これは全く魅力がないどころか、本能的に忌避してしまう嫌な人(もの、組織、環境等)もしくは苦手な人(もの、組織、環境等)と感じられる訳です。


このように、マナがあるか、マナがないか、という事が、私たちの嗜好や感覚に大きな影響を与えている訳です。





          

マナについての基礎知識(2)〜【マナが不足すると】



では次に生命エネルギーとしてのマナが足りなくなった状態「マナ不足」について見てゆきたいと思います。



マナ不足とはどういう状態なのか?


まず前述の自然界でのマナの補給源①~⑤から得るのマナが、文字通り不足している状態をいいます。


例を挙げれば、

空腹による電池切れ①食事、から得られるマナが不足している状態。

睡眠不足②睡眠、から得られるマナが不足している状態。

人間関係のトラブル③人間関係、から得られるマナの不足。もしくは杞憂や考え過ぎによるマナの漏洩している状態。

人混みや悪い環境で疲れる④マナが補給されるパワースポット、の反対でマナを奪われる言わば逆パワースポット状態。

忙しくて自分の時間が取れない⑤好きな事、がやりたくてもできない。心の喜ぶ事でマナの補給ができない状態。


といった具合に、マナは状況や環境によってどんどん減少してゆきます。

いわゆる「ストレスが溜まる」と言われる状態は、私たちの中でマナを浪費してしまっている状態のことです。


以上のような事を見てもわかる通り、私たちの日常では、マナを浪費したり、漏洩させたりと、マナを補給するよりも、マナが減少する事の方が多い。というのが現状です。


まず最初に言えるのは、自然界におけるマナの絶対数(量)が少ない。ということです。


前述の①~⑤のような自然のマナの補給源は、言わば「野生のマナ」で、常に安定して供給されている訳ではなく、補給方法としては不確実なものばかりです。



①食事から得られるマナ。

昨今の経済効率だけを優先したような食品には明らかにマナが少なく、いくらお腹いっぱいまで食べても、なかなか充足感を得る事ができず、結局満足感を得る為に味を濃い目にしたり、ついつい過剰に食べ過ぎてしまう。というのが現状です。


②睡眠によって得られるマナ。

睡眠にしても、常に充分な時間が得られたり質の良い睡眠が得られる訳ではありません。

日頃から睡眠不足を感じていたり、

随分長いこと寝たのに全然疲れが取れないどころか、逆にダルくなってしまった。というような事もあります。


③人間関係から得られるマナ。

そして昨今は人間関係においては、マナをもらう(補給する)よりもマナを失う方がはるかに多いのではないでしょうか。

イジメ問題はもちろんですが、普通に暮らしている私たちの間でも、より多く「認められたいという気持ち(例えば、より多くの『いいね』を求める等の承認欲求)」を良く見かけるようになったのも、本来、元々身近な人間関係から得られていたマナが希薄になっているからではないでしょうか。


④パワースポットから得られるマナ。

そして私たちは四六時中パワースポットの中で、温泉の中で過ごすという訳にはいきません。

たとえパワースポットの中で暮らしていたとしても、多くの煩悩に振り回されているような状態ではマナの総量は減って行く一方でしょう。


⑤好きな事から得られるマナ。

たとえ好きな事をしていたとしても、そうそう四六時中そればかりをやり続けることはできません。

ずっと同じ事の繰り返しだと飽きてしまうものです。




そしてマナには「イメージした所に流れる」という特性がありますから、何か懸念があったり、不安になったり、イライラしたり、怒りや恨みに心を乱されたり、悲しみ苦しみといった感情に囚われていると、ずっとその感情にマナを注ぎ続けている事になります。


つまり、私たちの精神活動によってマナを増やす事もできますが、その逆にいくらでも減少させてしまう事もできるのです。


このように生命力としてのマナの場合『補給するマナの量』に比べて、『失うマナの量』の方が上まわってしまう、言わばマナの「マイナス収支」になってしまっているのが【マナ不足】の状態です。





          










【縁】としてのマナ


またマナには、モノがモノとしてそこに存在させたり、さまざまな出来事を引き起こさせる引力としての側面があります。

この世界を存在させている謂わば接着剤のような役割もしています。


これは仏教の世界などでは『縁』と言われるもので、私たちの身体も、手に持つコップも、また私たちが踏むこの大地も、すべては縁によって繋ぎ止められてその形を保つことが出来ています。


そして、縁(=マナ)があるからこそ、さまざまな出来事も引き寄せられてやってきます。

「運命の出会い」などとよく言われますが、普段私たちが暮らしているこの世界で起こる出来事も、実はさまざまな出会いや偶然という【縁】が積み重なって現実化しているのです。


●つまり、さまざまなモノを引き合わせる力である【縁= マナ】によってモノがモノとして存在する事ができて、今この世界で起こっているすべての出来事もまた【縁=マナ】という引力によって実現されている訳です。


こういった世界観は古代インド思想や仏教等では【カルマ】という言葉で説明されています。

そういった偶然と思える出会いや結びつきを引き寄せて何かを起こさせる元となる力。成るべくものを成るようにさせている、その引力となる力が【縁=マナ】なのです。

こうした私たちの人生においてカルマ(業)を発動させる元となっている引力のような働きをするのもまた【縁】としてのマナの一つの側面です。






【愛情】としてのマナ


日本語にも「愛娘(マナムスメ)」といった言葉があるように、愛、愛情、慈しみ、というのもまたマナの一つの側面です。


例えば愛情(マナ)がある、ない、が顕著に現れるのが料理です。愛情を注いで作った料理は、その分だけ愛情としてマナが込められて確実に美味しくなります。


そして愛情を注いだ愛用品等は、大切にした分だけ良く働いてくれるものです。

ある大手企業の工場長の方が、工事ラインの機械一つ一つに名前を付けて毎日語りかけて愛情を注いでいた事で、その工事ラインの故障率が激減した。という有名なお話がありますが、それもまた愛情=マナの顕著な例だと思います。


また、人と人の間の関係でも、これは良く現れてきます。愛情に溢れた人からはたくさんの愛情= マナがもらえますから、その分そこには人も集まってきます。

そういった人には子供達や犬や猫といった動物達も集まって来るものです。彼等はただ素直に愛情=マナを心地良いと感じているからでしょう。


先の【人間関係から得るマナ】の章でも述べました通り、私たちは生まれ出た瞬間から親から注がれる愛情= マナを必要としています。その為、マナがもらえるのか、否か、については生まれながらにしてとても敏感になっています。

なので、その後の人生においても、その相手(または組織、会社、コミュニティ等)からマナが得られるか否か、については、無意識のうちにとても敏感に感じ取っているのです。


その為、愛情に溢れた人= マナの貰える人(や組織等)には、自ずと人や動物までもが集まってくる訳です。

マナは生命が生きて行くために必要な生命力そのものですから、これは当然と言えば当然ですの事です。


その逆で、愛情の感じられない人、人からマナを奪ってばかりいる人のところには、あまり人も集まってきません。

事あるごとに人を傷付けたり、口を開けば不平不満、愚痴や悪態のオンパレードというような人の所に人は集まりづらいでしょう。たとえ集まったとしても長続きはできないものです。

それでも何らかの理由でその人と一緒に居続けなければならないような場合には、無理がたたって病気になってしまったりするケースもよくあります。


それ以前に、何かと疲弊する事の多い現代生活において、ただでさえなけなしの『野生のマナ』で何とかやりくりしているのが現状なのに、その上マナが奪われるような人(や組織等)の所へは誰も行こうとは思わないでしょう。

できれば避けて通りたい。というのが心情だと思います。


このように私たちは、普段の生活の中でも敏感にマナ= 愛情として感じ取り、そのやり取りをしている訳です。









【美】としてのマナ


美しいもの、美しいと感じるもの(モノ、行為、形)からはマナが発生しています。

私たちが美しいものに惹かれるのは、そこからマナが供給されているからと言っても過言ではありません。


思わず目をとめてしまう美しい光景や芸術作品からは例外なくマナが溢れています。

私たちはそのマナを感じて、その作品を好きになったり、興味を掻き立てられたりしている訳です。


また、美しい振る舞いや、美しい言葉、美しい音色。美しいしぐさや美しく整頓された部屋などからも、心地良いマナが溢れています。

そうした美しいものと接するたびに、私たちはそこから好ましいという感情と共に美=マナを感じているのです。


例えば「何がどう良いのかよく分からない」というような絵画なのに、なぜか見ていて心地よいという事があります。

それはその絵画から間違いなくマナが溢れている証拠です。

私たちは理論や理屈などない所にも、美という形を通してマナを感じている訳です。

そう考えてみると、芸術作品の存在意義とは、大なり小なり、世界にマナを供給している装置という事なのではないだろうか、と思えて来ます。



このように、マナとは、目には見えないけど確かにそこで働いているもの(エネルギー)であり、すべての存在の元()となり、私たちの生活の中でも愛情や美という形で密接に関連しているもの。という事になります。


こういったこの世界の節目節目で働いているエネルギーの総称を、古くは古代ポリネシアの時代から【マナ】と呼んできました。





マナとは何か


マナとは、


生命エネルギー

存在を繋ぎ止めている引力(縁)

愛情


として、自然界に偏在しているエネルギーの総称です。






【生命エネルギーとしてのマナ】


●それではまずは、ごく基本的な基礎知識として、

生命力マナについて見てまいりましょう。


生命にとってマナとは、それがなくなると命を維持する事が出来なくなるもので、いわば生命エネルギーそのもののことです。

太古の昔からずっと私達はマナを得ることで命をつないできました。





【自然界でのマナ補給源】



●では、その生命の維持にも不可欠なマナを、私達は普段の生活の中でどのようにして得ているのでしょう。

自然界における主なマナの補給源は以下の通りです。



①食べ物から補給する。

②睡眠によって補給する。

③人間関係から補給する。

④場所から補給する。

⑤好きなことから補給する。



それでは順を追って一つずつ説明して参りましょう。





【① 食べ物から補給する】


私達は、食べ物を摂取するときに、単に空腹を満たし不足している栄養素を得るというだけではありません。そこからマナも同時に補給しているのです。


生産効率に追われた工場のラインでつくられたお握りより、おばあちゃんの手作りのお握りの方が美味しい!と感じるのも、そこに愛情という形でマナが込められているからです。


経済効率だけを優先して作られた食べ物よりも、手間ひまをかけ愛情をかけたものの方がより多くのマナが注がれますから、その分美味しくもなりますし、食べた時の充足感も格段に違ってきます。

その時私たちはマナを「美味しさ」とか、

「食べた後の充足感」という形で感じ取っている訳です。


取れたての新鮮な野菜や魚が美味しいのは、何も食材としての鮮度が良い、というだけではありません。


そこには同時に、生命エネルギーを維持されるために必要な新鮮なマナがたくさん入っているからなのです。


しかしマナには「高い所から低い所へ流れる」という水に似た性質があります。

そのためマナの少ない環境に長い間おかれた食材は、時間と共にそのマナも周りの環境へと流れ出してしまいます。

そんな食材を使った料理だと、いくら食べても何故か食べた気がしない。といった事が起こります。


そんなマナの不足した食材でマナのこもっていない経済効率だけを考えた方法で調理をされた食べ物は、いくら食べても食べても、思いの外満足感を得ることが出来ません。

現代社会でおこりがちな食べ過ぎの原因は、実はこういった所にあるのかも知れません。


このように私達は普段の食生活の中でもマナを身近に感じている訳です。





【② 睡眠によって補給する】


睡眠は、非常に効果的なマナ補給の方法です。

睡眠障害の人がどんどん衰弱してゆくのは、

何も睡眠によって脳や身体を休めることができない、という理由だけではありません。

睡眠によるマナの補給が得にくくなる為です。


例えば風邪などで身体の調子が悪いときはもちろんですが、

考えがまとまらなかったり精神状態が不安定なときにも、たっぷりと睡眠をとることがとても効果的な解決になります。


ただマナが補給される、ということだけではなく、

それと同時に凝り固まった精神状態を解きほぐしてリフレッシュしてくれるところが、睡眠の素晴らしいところです。


こう考えてみると、よく「睡眠は人生の3分の1を占める」などと、

まるでもったいないかのような言われ方をしますが、

睡眠は天然のマナ補給源であり、心身ともにリフレッシュする事ができる、生命維持にとって、とても重要な時間であることがわかります。





【③ 人間関係から補給する】


たとえば、狭い道ですれ違うときにちょと譲り合うことで、

お互いが気持ちよく過ごせるということがあります。

また、困っている人にちょっと手を貸してあげてその人に喜んでもらうと、なんだか良い気持ちになったりします。

そういう時にも、マナのやり取り(補給)がされているのです。


このように、普段の何気ない生活の中の、ほんのちょっとした事でマナのやりとり(補給)がおこなわれています。


そして人間関係においては愛情という形で多くのマナがやり取りされています。

まず、私たちは生まれてすぐに親の愛情を受けなければ生きていく事さえできません。


愛情をうけられずに育った子供が、その人格形成において大きな影響を受ける事は良く知られていると思います。

私たちは基本的に生まれ出たその瞬間から、生きていくために多くの愛情(マナ)を必要としているのです。


そして親子関係や家族、気のおけない仲間たちといった間でもそうですが、

例えば、恋をして急に綺麗になった。と言われるように、恋愛においても多くのマナがやり取りされています。

人によっては恋愛をし続ける事で、いつまでも若々しい容姿を保っている、という事もあるでしょう。


また場合によっては、イジメや暴力もまた、一つのマナのやり取りだと言えます。

ただ、この方法は「得る」というよりは「奪い取る」とか「略奪する」と言う方が適切で、

人間関係から得るマナの得方としては、あまり感心できる方法ではありません。


しかし、根本的にマナの不足した世界(貧困に喘ぐような世界)などでは「生きて行く為に」という理由から、しばしばこの方法が用いられます。


昨今問題になっているイジメですが、

イジメはいじめる事で相手からマナを奪う方法です。

誰かを困らせたり、意図的に辛い思いをさせたりする事で、その相手からマナを奪う訳です。

他人の不幸は蜜の味、などと言われますが、まさに蜜のようにその相手からマナを吸い取っている訳です。


なので、いくらイジメをやめよう、イジメを無くそう、と言っても、そこから蜜のようなマナが得られている以上、それを止めさせる事はなかなか難しいかもしれません。


何せ、この人間関係から得られるマナは、他の方法に比べてかなり「稼ぎが大きい」のですから。

愛する人の何気ない一言で世界がガラっと変わってしまったり、家族や友人のちょっとした態度でその日の気分が左右されたり、という事は私たちの日常でも良くある事だと思います。


そこでやり取りするマナの量が大きいだけに、

人によっては周りの人の顔色を伺いながら過ごす事が日常となってしまっている事もあるでしょう。

私たちの悩みの大半が、この人間関係だという事を考えても、それは理解できると思います。


また、少し違った意味で、人の注意を惹いたり、注目を集めることでもマナを得る事もできます。

最近ではSNS上で「イイネ」等を得る事なんかも、それに含まれると思います。


確かに誰しも注目を集めて共感をえたり、褒められたり、好意をよせられたりすると悪い気はしないものです。 

では何故注目を集めて、共感をえたり褒められたり好意を寄せられる事がそれ程嬉しいと感じるのでしょうか。

実はそこでもマナのやり取りが行われているのです。


例えば、アイドルなんかがそうです。昨日まで冴えない田舎のおにいちゃんだった人が、人気が集まる事で見る見るオーラを纏って行く事があります。


その逆に、人気絶頂だったスターが何かの不祥事を起こして落ちぶれてしまい、すっかり普通の人になってしまった、などという事はテレビなどでもよく目にする光景だと思います。

これは、それまでそのスターに大量に注がれていたファンからのマナ(注目や好意や応援)がプツリと途絶えてしまう事で、オーラの無い(=マナの無い)普通の人になってしまった。という事なのです。


こうして、私たちは思いやりや愛情という形として、または注目したり好意や応援といった形でもマナをやり取りしています。


また、時にもイジメや悪意、暴力といった形で相手からマナを奪う事もあります。

それも含めて、さまざまは方法で私たちは人間関係からマナを得ている訳です。





【④ パワースポットから補給する】


いわゆるパワースポットと呼ばれる場所には、大量のマナが供給されています。

そういう場所へ行ったときに「気持ちいいな~」と感じるのは、そこから多くのマナを得ているからです。


神社仏閣めぐりが好きだと言う方もおられるでしょう。

神社仏閣は古くからマナが供給されている場所でもありますから、言い換えればパワースポット巡りをしていることにもなります。


ですから例えば、自分なりのお気に入りのパワースポットを見つけて、

定期的にそこへ出かけて行くというマナの補給方法もあります。


そして、日本人には何より身近にマナを感じることができるパワースポットが『温泉』です。


温泉は火山活動によってできるものですから、まさに大地の底からマナが溢れ出してい場所でもあります。

実際、良い温泉には、それこそ溢れんばかりのマナが湧き出ています。

多くの人が温泉に惹かれるのは、確かにそこに含まれる科学的な成分の効能や湯治場ならではの雰囲気といった要素もあるでしょうが、

何よりまず、この「溢れんばかりのマナを全身で補給できる」という所が一番の魅力になっているのではないでしょうか。





【⑤ 好きなことから補給する】


たとえば、休日に大好きな趣味に没頭するとき。

ついつい時間を忘れて何かを楽しんでいるようなとき。

私たちはそこからマナを補給しています。


ずっと楽しみにしていた旅行に行く時や、

大好きな歌を思い切り歌う時。

お気に入りのファッションを楽しむ時。

もしくは久しぶりに思いっきり衝動買いをする、などという時。

また思わぬ幸運から希少なお宝コレクションをゲットした時。などなど。

それぞれに楽しさを感じるときがあると思います。

こういう時もマナが補給されています。


逆に言えば、もともと「好きなこと」とは、

そこからマナを得る為の「マナ補給の方法」でもあるわけです。

よく「大好きな事をしている時は睡眠時間がほとんどとれなくても平気でいられる」といった事を聞きますが、それこそ「好きな事」からマナが補給されているのですから、それほど睡眠によるマナの補給を必要と感じなくなるからでしょう。





ざっと簡単に説明してまいりましたが、これらはごく一般的なマナの補給方法です。

普段の生活の中で、こうした方法で我々はマナ感じ、

マナを補給しながら暮らしている訳です。