
現在、お義母さんが亡きあとの部屋の整理をしています。
骨折からの経緯が早すぎて気持ちが付いてこないです。
葬儀会場としても使用する部屋で、何度もお義母さんの目を瞑っている姿が、いつものように眠っているようにしか見えず
入院中、声掛けしたらパッと目を開けて直ぐに閉じるお義母さんでしたから、
今にも目を開けるのではないかと思う程…
頭ではわかっていますけど。
信じられないです。

入院中の事を書いています。
入院して3日目の事
今後の退院後についての介護の仕方を医師から聞いていました。
入院して5日目
肺炎を起こしてしまいました。
肺炎をおこすリスクは入院手続きの時に聞いていました。
嚥下機能が弱ると食べ物や飲み物が肺に入ってしまったり、
やはり病院ですから、感染して肺炎をおこしてしまうことがあります。
父の時もそれがあって2週間ほどの入院で回復したのを覚えています。
その後医師から
「いつでも面会に来ていいですよ」と、言われた時から家族で覚悟し、そう言われたとしても、いいや回復して良くなるのかも?と、思ってみたり、実際に大丈夫だった方を知っています。
その言葉を言われる前は
自宅で介護しやすい環境作りを夫とああでもない、こうでもないと。
そしていっそのこと、一階を改築し一緒に住んで介護用の部屋を作ろうか…など。
とにかく2階は階段が上がれないので、一階に居住する事であらゆる事がやり易くなると思います。時間は要しますが、自宅介護が可能です。
当面は、部屋を整理整頓する必要があり、ここら辺に介護用ベッド、自宅介護になったら、看護師さんに毎週来てもらおう、お風呂もどうするか?デイサービスで入れてもらおう!とか。
こうなったらこうしよう、福祉サービスを利用しながらお義母さんも自分たちもあまり大変にならない工夫は絶対必要だよなぁと、考えていました。
仕事を持ちながらの介護は父の時に出来ているので、出来ることはやる。出来ないところは福祉サービスで補うって事です。
そして「ケアマネージャー」さん、
幸いな事に父の担当ケアマネさんがお義母さんを担当する運びになっていて、我が家の諸事情を分かってくれているお方です。

色々と動いている最中の出来事で、医師から言われた事です。
「いつでも面会にきていいですよ」
面会時間は決まった時間以外は入棟できません。この言葉は既に看とりに入ったという意味です。
それを聞いてから5日後、
夫が起きる時間の丁度に電話が鳴りました。
慌てて病院に行きましたが、旅立った後でした。
身体はぽかぽかしていて、聞こえる左耳でおかあさん、おかあさん、今来ましたよ。
夫も、おかあさん、おかあさん、わかる?俺だよ。きたよ。と呼び続け、
次男もお義母さんの愛称で呼びかけてました。
お義母さん亡きあとはしばらく晩ごはんが作れなくて、悲しみもありますが…
葬儀まで何をやっていいの?と。
お葬式の手配があり、プランとか、列席者の確認、引出物、香典即日返しのお品、お斎へ列席される方のお品、お寺様へのお布施類、お花、列席のお名前の文字に誤りはないか?お斎の席順、故人の写真、棺に入れる思い出の品、
こう言う事は全部葬儀会社からの指示で私達も動きますので、何が足りなかったとかはなくて敢えて言うならお斎の名簿作成と、席順を決めるのは私の仕事でした。
葬儀までには時間があったのでお義母さんが時間を作ってくれたのだと思います。
みんなが困らないように、慌てないようにしてくれたのだと思います。
最後はお寺様に礼参、49日法要の日程打ち合わせと納骨式。位牌を作成して頂くお願いをして葬儀の日は時間時間で動いていました。
49日法要は家族とお寺様の都合にあわせて執り行う日程と決まりました。
後日
お義母さんのご妹弟から、「立派でした。お疲れ様でした。」と、連絡を頂き気遣ってもらえたこと。
お義母さんのご妹弟を近くに感じる事ができました。
黒い靴持ってはいるけど少々疲れ気味だったのとかかとが安定して低めなのが疲れなくていいので、今回は靴屋さんで購入しました。
急に使う時がくるので一つ持っておくだけで安心します。
パールネックレスとイヤリング何処かに仕舞い忘れ見つからなく急遽アマゾンで購入しましたが、これはこれで良かったです。結局見つからず諦めていたらお義母さんの冠婚葬祭セットに立派なもの有りました。当日は借りしました。
悲しみと言うのは多分ゆっくり時間が出来た時だと思っています。
毎日の遺品整理、諸々あって、次から次へと手続きがあります。
お義父さんが亡くなった時もお義母さんは1人で大変だったのだろうと思いました。
その時にならなければその大変さは分からないものですね。

ホッとして食べやすくて美味しい。