今回は、岩手で起こった中学2年生の男の子の話。
ここで事の顛末や感想、主張を語ってもいいのですが、それらはいろんな人がいろんな場所で発言されているので、どうこう言いません。共感を得たい訳じゃないので。
ただ自分にとっては妙な言い方ですが、思い入れがあります。誰もがではないです。
何度も考え手首切って。あれ熱いんです。痛いというより熱い。瞬時に腫れ上がったみたいな痛みです(痛点が集合した部分なのでかなり痛い)。
その時柴見の中にあるのは誰が憎い誰が悪いなどではなく、自分の死後です。
ここで死んだら職場は摘発されるかな、誰々は自分のせいかもと青ざめるかなとか。復讐心ですね。思い知れと。2度と取り返しのつかない事にしてやるといった、暗い熱。ざまあみろ、と考えるのが一番楽しかったです。
まあ、自爆テロもどきのセコい皮算用ですが。
今は落ち着きましたが、そういう意味で柴見は化けて出ますよと。
柴見の場合だと、巻き添え道連れは常にあるのだと思ってます。諦めではなく、そういう性質。
まあ、そんな形にはなるまいと生きています。今の生活は割と気に入ってるので。