本日は土曜日のため,採用活動に関しては何も動くことなく,待機。
ちょっとだけお昼頃に出たくらいで,何をしたわけでもない。この先忙しくなるから,こういう休日もたまには悪くない。
しかし,中々に自由のきかない環境なだけに,少しもどかしい。副業も進めることが難しい環境なだけに,不満が募る。早く一人暮らしに移行したいものだ。
それはそうと,今日は「我慢」について考えてみる。
我慢とは,自分に執着することから起こる慢心のことだそうな。それがいつの間にか耐えることという意味合いで使われるようになったのだが,私はこの我慢が嫌いだ。
我慢,というのは自分を抑える事である。
つまりは,欲求や感情を抑える事である。
これはつまり,自分を封印する事である。
これが幼い頃から続くとどうなるか。封印されしエグゾディア(懐かしい)が長年封印されたままで居られるだろうか。
この封印が,自分が一人になった時,つまりは親や学校の監視の目がなくなった瞬間に世に解き放たれる。人によっては散財してしまう人もいるだろう。朝まで飲み明かしてアルコール三昧の人もいるだろう。いきなりパンクロックな世界へ走る人もいるだろう。くびきから逃れた瞬間,今まで抑圧していたものが解き放たれ,それが良い方向へ影響すれば良いのだが,大抵抑圧されているものというのは,大人から見れば害悪として処理されている娯楽が主である。ということは,悪い方向へ流れてしまう可能性の方がとんでもなく高いのが自明。
もちろん,思い通りにさせてしまうのも良くない。わがままな自制心のない人間が完成されてしまうからだ。しかし,「我慢」はどこまでも受動的なものであり,能動的な「我慢」は存在しない。我慢というのは,抑えつけることであるからだ。自分から我慢をするということは,欲求としては残っている。つまりは無理くり足枷を付けて封印しているのだ。
今までも,これからも,我慢という言葉は聞くのも嫌だし,言うのも嫌だ。
なんでも我慢して抑えれば解決できるのなら,世の中の問題も少しは解決したものがあるのではないかと思うほどだ。我慢せずに小出しにでも解消していく方が人生がより潤うのではないかと思う。
とかく,昔気質の人は
・我慢をしろ
・人に迷惑をかけるな
を押し付けがちである。
我慢しすぎた結果,欲求が解放された時に犯罪に走る人だっているだろうに,それにも気付かない。
迷惑をかけないで生きるためには,無人島で自給自足する以外の選択肢がないというのに,それも理解できていない。人は迷惑をかけて生きるもの。それを理解し,お互いを許す心がなければ,共存なんぞ向こう数世紀わたって不可能であろう。
時代が変わったのではなく,もともと人間の本質はそういうものであり,押し付けを常識として,歪んだ観点から人間を見ていた証が残っているのである。
今後,これは改善するべき点であるし,自分は今後,新入社員しかり子供(ありえないが)に教育を施す際は,絶対にこの2点に際しては細心の注意を払って接するつもりである。
我慢は,人の心を抑え壊す,魔のツールである。