お父ちゃんが亡くなりました
覚悟はしていましたが
やはりこたえます
こばちが2年前の4月に
乳癌の全摘同時再建の手術をして
6月にリンパ節追加郭清の手術をした後
お父ちゃんは7月に
膀胱がんのカテーテルでの切除を受け
そこからは約1年半
呼吸が苦しくなったり
脱水になったりで救急搬送されたり
病院にいることの方が多い生活でした
入院前の6月には自分で運転する車で
山形にさくらんぼ狩りに行けるほど
元気だったったのに
足腰弱り独り暮らしも出来なくなり
わずかに退院しても
介護施設のお世話になってました
去年の5月に
看病していたお姉ちゃんが心労で倒れてから
乳がん治療の一段落したこばちが
二時間近くかけて週一でしたが
お父ちゃんに会いに行っていました
もう一人お姉ちゃんはいますが
頑固で偏屈なお父ちゃんは
我が儘や意地悪な事ばかり言って
二人のお姉ちゃんは足も遠退きがちでした
でも車椅子にも座れなくなり
寝たきりの最後の数ヵ月は
こばちたち三姉妹に会うと
『すまないね、すまないね
会いに来てくれてありがと…』
享年93歳のお父ちゃんは
戦時中飛行機乗りでした
お清めの席で叔父が
『子供の頃は飛行機のプラモデルばかり作ってました』
と話してくれました
戦争が終わって平和な時代が来てからは
趣味でセスナ機の操縦を楽しんでました
こばちが子供の頃は
休みの度に戦友とセスナ機を借りて
フライトでの旅行に出掛けたり
よくこばちを乗せて遊覧飛行に連れていってくれました
お父ちゃんが煙になったとき
セスナ機の周りを取り巻いた
あの青い青い空と同じ景色がそこにありました
お父ちゃんは不自由な身体を抜け出して
やっと自由に空を翔けめぐっているんだな…
ってそんな気がしました
ご住職がとても素敵な戒名をつけてくれました
『天』と『翔』の文字が入ってます
お父ちゃんにぴったりです
こばちの眼の奥には
セスナ機を操縦する
カッコいいお父ちゃんの姿がずっとあります
これからも青い空を見るたびに
こばちはきっとお父ちゃんを思い出すんですね