豊かさとは一般的にどういった状態のことを指すのか自分では余り想像もしたこもない。
すぐに思いつくのは、豊満、太っているとか、沢山あるとか、満たされるとか、おおらか、ゆっくり、まったり、みたいなものを連想する。
人間の場合の豊かさとはどんな事をいうのか。
果物の場合は木に沢山の実がついているのを見て人間が言うのだが、果実の量や色や美味しさの事を言うのだろう。
動物の場合は落ち着いていて、体もしっかりしていて余裕がある。子孫にも恵まれ、暮らすのに不自由なくそして余らしているわけでもなく、身の程を知り、自由に己らしく生きる。
そういうイメージがある。
さて、人間の豊かさというのはどういったものだろうか。
能力や美貌などそういったものもあるかな、子どもや孫たちに囲まれながら生きるとかもあるかもしれない。おおらかとか、心が広いとかも言ったりする。
豊かさとは量にも関係しているように思う。不足なく豊満なイメージだ。水や空気のように沢山ある。それとは別で増やす、囲う、沢山あるようにする、というのはなんとなく貧乏くさい感じもする。
体が大きいのが豊かさか、沢山食べものを食べるのが豊さか、と言われるとそうでもない気がしている。形あるものや、現象的に目に見えるものなどには量が分かるのかもしれないが、さて、形のないものも世の中には沢山あるのではないだろうか。
無現象なもの。例えばエネルギーや電気みたいなものだ。人間のなかにある感情と呼ばれるものや気持ち、観念なども目に見えるものではないだろう。知識や経験も目に見えるものではない。
では、目に見えないものが増えていく、心が豊かになるとは何の事を指すのだろうか。
ここで突然かもしれないが、私が考える人間の豊かさにとても大きな影響をあたえるものは
「知る」「知識」「知能」などが大きな影響を現すのではないかと思う。
三つ述べたもの全部バラバラのジャンルのものかもしれないが大まかに言うと「知」ということ。
しかもそれは物や植物についてもそうだが、一番は「人間について知る」というのが一番ではないだろうか。
人間について知るということは、体の面、医学や栄養の事もあるが、一番はなんと言っても精神のことが人間を語る上で大きなウェイトを占めている。それを「心」と言ってもいいのかもしれない。
「心」を知る。と言えるのかな。
その心に影響しているのが、「知」ではないだろうか。
心は生まれた時からあるのかもしれないが、俗に言う「心が成長する」というのは何が成長していると言うのか。もともとあるものが、どうなることを指すのだろうか。
成長する上で大きな働きをするのが、「知る」ということ、つまり知能が大きく関係しているように思う。そこから情報を取り込み頭を通して、心が膨らんでいくのか。
そこで大きな問題が、「知能の用い方」と言われるように正しく情報を入れているか、偏見や主観的な見方ではなく、正しく素直にそのまま情報が入っているかどうかが問題になってくる。
ここをちゃんと理解しないといつまでたっても間違いだらけの理解に自分が苦しむだけだと思う。
知るということは、即ち世話をする人、人のお世話をする人が人間にとって最も豊かな人だと言えるのではないだろうか。
「知る」と「お世話」がなんで繋がるのか、意味が分からないと思う人も沢山いると思うが、それはまた別の機会に解説できるといいかなと思う。
知らないと(知ろうとしないと)人のお世話はできない。身の回りの細かなことは誰でもできるが、心のお世話も含めて細かなことを出来る人はなかなかいない。
植物や動物のお世話をする人は、対象となる植物や動物のことをある程度知らないと適切なタイミングや量など、お世話はできないと思う。一方的な主観で今はお腹がすいているから、食べさせようでは相手(対象)は困ってしまうでしょう。
それが人間では現象的な言動もあるが、ほとんどの人間が満たされる部分を占めている心のお世話をできる人が大事だと思う。
心のお世話。
それは外からは分かりにくいものであるし、わからない人には全く分からないことと言ってもいいと思う。
その境地や同じ立場になった人なら少しは理解できるのかもしれない。
人の事を考えている、思っていると思っていても、それが自分の感覚や、自分の認識との自覚がないうちは、それは豊かさとは違う状態でもあるようにも思う。
ホントウに相手の事を思えているかは甚だあやしいところだ。
自分の事を知ろうとしない人が、人の事を知ろうとすることがほんとにできるのだろうか。
知っているつもりでも、それは「つもり」ではないだろうか。
相手が今どんなことを思っているか、考えているのか、リラックスしているか、していないか、
居心地はどうか、狭くないか、邪魔じゃないか、無理していないか、自分はどんな影響を与えているか、など、人から言われるたり、自分で無理して考えたり言い聞かせるじゃなく、自分の中から自発的に湧いてくるもので考え行動出来る人は、人間の見本になると思うし、とても豊かな人ではないだろうか。
やはり、人間の見本になる人、うらやむような人は「豊かさ」が溢れるような人でないと誰も魅力を感じないと思う。
誰でもどんな人でもうらやむもの、魅力的に映るもの。それは「豊さ」ではないかと最近思う。
しかもそれは、見かけに出るかもしれないが、外からは出るものではなく、内面の話のように思う。
それは内面に関心のある人でないとスグにはわからないものではないかと思う。
そして人間が人間のお世話をする(心のお世話)のは別に特別の人ができることや難しいことでもなく、誰でもできる能力があり、そんなに大差はないし、成長とともに自然とできてくるのではないだろうか。
お母さんが赤ちゃんのお世話をするように、おばあちゃんやお母さんの助けをもらいながら自然にやるように、知りながらやっていく、一度できたからと言って全部知れるものではなく、いつまでも「知る」の営みの中で豊かに成り続けていく。
長くなったけど、そういうものではないだろうか。
「豊かさ」と「知る」の関係がまだ雑に述べられただけで、分かりにくかな。