少し昔、ここ日本でも政権交代が起きた。

皆、何かが変わるのではないかと期待していた。

僕も、彼らには投票しなかったが、この機会に古い因習を一掃してくれる、

そう期待していた。

 

結果は、失われた時間がさらに失われただけだった。

彼らは美辞麗句で国民を引きつけたが、実行するだけの能力がなかった。

政権担当能力がなかったのだ。

 

株価は低迷し、「コンクリートから人」はコンクリートの劣化を招き、

原発事故の対応では迷走が続いた。

 

正直、がっかりした。

期待が大きい分だけ落胆も大きい。

でも、まだ希望はあった。

彼らは政権を担う初心者だった。始めから上手くいくことなどめったにない。

野党に下ったとしても、政権を担った政党として、現実に立脚した論争をしてくれるだろう。

国会審議はより中身のある議論になるはずだ。

そう期待していた。

 

あれから、数年が経った。

今、その政党は共産党とともに選挙を戦っている。

公安調査庁の監視を受ける共産党とともに。

この前、彼らのポスターが家のポストに入っていた。

「まず、2/3をとらせないこと。」

正直、目眩がする思いだ。

僕が期待していたのは、与党の足を引っ張ることを全面に打ち出す政党ではなく、

政権を担う気概のある政党の姿だった。

もう、その姿はどこからも感じられない。

彼らは、「確かな野党」になってしまった。

 

前の国会では、安全保障関連法案が話題になった。

しかし、戦いは始まる前に終わっていた。

与党は数で勝るのだから、採決をすれば法案は通る。当然のことだ。

だから、本気で止めるなら、チャンスはその前にあった。

憲法解釈変更の閣議決定。このときに反対すべきだったのだ。

しかし、特に何も起きることはなかった。

 

閣議決定は法案の国会提出の前の臨時国会でなされたが、

その臨時国会の会期末、彼らの代表が質問主意書を提出していた。

閣議決定に関する質問主意書だ。

中身はかなりしっかりしていた。

練られた主意書であることがよくわかった。

この主意書を元に国会論戦が行われるのだろう。

骨太の議論が展開されると安心していた。

 

法案が提出された後の国会論戦の中心は、

「存立危機事態」の定義に関するものが中心だった。

枝葉末節の摺り合わせが中心の論戦を見ていると、

あの主意書はどこに行ってしまったのだろうと思った。

 

審議の状況は、ある日を境に一変する。

早稲田大学の教授により、法案が違憲ではないかとの疑義が呈された。

これはある意味当然のことだ。芦部憲法にも違憲だと書いてある。

憲法学者が法案に違憲の疑義を呈するのは当然のことだと言える。

彼らは自らの職務に忠実だっただけだ。

 

そこからおかしくなった。

法案はいつの間にか「戦争法案」とレッテルが貼られ、

国会の外では学生団体やらのどんちゃん騒ぎが始まった。

 

その政党は、その波に乗ってしまった。

「存立危機事態」の議論は消え、代わりに「戦争法案」を糾弾する審議が始まった。

各国でテロが頻発し、北朝鮮がミサイルを発射し、中国が領海を侵犯する。

僕が期待していたのは、現下の国際情勢に対して日本が取るべき行動をきちんと議論することだった。考え方が違うのはかまわない。同じであれば議論にならない。

だが、国会審議は「レッテル貼り」に終始した。

がっかりした。

法案は違憲かもしれない。それを理由に反対するのはかまわない。

だが、なぜ「戦争法案」なのだろうか?

それは今でもわからない。

 

「アベノミクスは失敗した」

これももう何十回と聞いている。

確かに、アベノミクスは上手くいっていないかもしれない。

金融政策は一定の効果を挙げたがもう限界が見えている。

賃金は思うほど上がらず、消費は広がりを欠く。

 

彼らは分配政策こそが、成長の源泉だという。

だが、分配するには財源が必要だ。

彼らは大企業や富裕層に負担を求める税制改革と徹底した行政改革で財源を捻出するという。

 

大企業が巨大な内部留保を有しているのは確かだ。

だが、それはグローバル経済に対応するためである。

世界経済は一体化しており、グローバルに展開する大企業は経済動向次第で大きなリスクを受けることになる。

巨大な内部留保はバッファとしては必要額なのだ。

 

安倍政権でもその内部留保を賃金という形で分配するよう

経済界に何度も働きかけたがその効果は限定的だった。

 

では、そうした状況下で大企業や富裕層に負担を求める税制改革を行った場合どうなるだろうか?

企業は海外に出て行くだろう。各国が法人税を引き下げ有利な投資環境を整備しようとする中、日本だけが悪環境なのだ。日本にいる理由はどこにもない。

 

企業の視点はもはやグローバルなのだ。利益を生み出さない国にとどまる必要はない。

世界各国は成長のエンジンたる大企業に逃げ出されないようしのぎを削っている。

その中で一人、日本は自分から脱落していくのだろうか?

一度分配を行ったが最後、日本は成長のエンジンを失うのだ。

エンジンを失った車は止まるしかない。

短期的には分配は消費を生み出すかもしれない。

だが、長期では成長の源泉が失われるのだ。

 

「徹底した行政改革」

これはどうだろうか。

彼らが前に政権を取ったときのことだが、「埋蔵金」なる言葉が流行った。

自分たちが政権を取れば「埋蔵金」を発掘して、政策の原資に充てるという。

だが、そんなものはどこにもなかった。

あれだけ騒がれた前もなかったのだ。今もない。

 

結局、財源などないのである。

本気で分配する気があるならば、方法は資産課税しかないだろう。

高齢世帯はかなりの額をタンス預金等で貯め込んでいるという話もある。

財務省は資産課税をかなり前からやりたがっているそうだが、結局実現には至っていない。

(個人的にもマイナンバーと紐付けされた資産課税はセキュリティの問題が解決されない限り反対だ。)

 

 

僕が彼らに期待していたのは、

政権を一度取った政党として、この国の抱える問題点を明らかにし、実現可能な方策を提示しつつ、国会で骨太の論戦ができる政党に進化することだった。

 

だが、今の彼らは巧言令色ばかりで実現が難しい政策をひけらかし、政権与党にレッテルを貼り、幼稚な議論で大衆を扇動するばかりだ。これでは政権交代前に逆戻りである。

こんな状態ではとても政権担当能力を持った政党だとは思えない。

 

彼らに政権担当能力がないなら、事実上選択肢はない。

共産党に投票することはありえない。彼らは基本的価値を共有していない。

 

今からでも遅くはない。国民に選択肢として認識されるだけの政党に生まれ変わって欲しい。

今彼らに期待するのはそのことだけだ。