私の書くのは明想です。
この迷走もあります。
生命は全世界を照らす光ですから、
宇宙生命への一心集中が明想なんです。
それ以外見ても思ってもならない。
実際に発達しますとその光が見えるようになります。想像を絶する光です。
その光が見れる状態になりますと体は精妙体になります。それをマイルーパーと言って至福感・法悦感に満たされます。
その光に満たされると一切の悩み苦しみから瞬時に解放されます。
これは誰でも可能です。
生命は光の自分で肉体は影の自分です。我々はどうしても影を見がちです。
2:35
明想とは内観のことです。
外を見てる時は迷走です。
生命を見てる時は明想です。
内なる光を見るか、外なる陰を見るか。
本当に正しい明想の指導を受けないと、雑念が増幅するだけです。
色々の悪い想念も増幅します。
気が狂ったりおかしくなる人もいます。
自我で明想の指導はできません。
5:10
生命とは天照大神です。
生命は普遍にして無限、永遠の光です。
生命を受けることを洗霊と言います。
光のシャワーを受けること。
水の洗礼は行水です。
昔はお風呂がなかったので滝に打たれたり、川でゴシゴシやってました。
今は家庭内で一日2回ほどできます。
肉体は清潔にせねばなりません。清く保つことです。
6:55
バプテスマのヨハネは行水のことを水の洗礼として広めました。外なる清めです。
火の洗霊はキリストの内なる清めです。それは内観や明想を通してしかできません。
内なる生命を見つめて焦点が合った時、どなたでも光を見ることができます。
光を見た時、生命の光の洗霊を受けます。
9:00
礼服と書きますが、霊の服装です。
白衣のことを白色同胞団と言います。
自分の肉体が白光に輝いている人です。
皆さん外的清めはしてるけど、まだ内的清めをやってない。自分の体を白光に輝かすことができるものは光の住者となります。
皆さんこのままの調子で、まだ光ってないで自分は天国行きだと思っても自己満足です。
聖者方から白光を放って光にしか見えないというのはその意味です。それは洗霊を受けた方でないと光ることはできない。
11:45
明想は何のためにするかと言うと、その洗霊・イルミネーションを受けるためにするんです。
外を見ないで生命の光に一心集中することで光るものとなります。これでもかで光を受けるまでは辛抱強く行わねばなりません。
13:40
本質の世界は内界です。
形を見てる時は外観です。
本質が形を作って本質が形の中に宿っています。その本質は愛です。
なぜ愛かと言うと、物は霊と水のバランスで存在します。
光と水のバランスのことを水晶人間と言い、イズラエル人です。
15:50
本質・大愛への一心集中が明想です。
それをやっておくと現に光が見えるようになります。見えるまでは努力せねばならない。まだ努力が足りないということです。
自分の内なる光が見えるようになると、愛の光が現れると外の闇は消えてなくなります。悩み苦しみは全て消えてなくなります。
そこには平安・喜びがあります。
至福感・永遠の喜び・無限大の喜びです。
もう一切の恐怖から解放される。
転載終了