わたしのこと
まずは不登校になった時のことを話してみたいと思います。
小学校2年の秋口から不登校になりだし、小学校3年の春ごろから完全に不登校になりました。
不登校の期間は中学卒業まででした。
不登校になった理由は大人になった今でも分かりません。。。
記憶に少しあるのは、学校という箱に入って何かをするってことが苦痛だったのを今でも覚えてます。
一番傷ついたのは、小学3年の時担任の先生が家に朝電話を掛けてきて今から迎えに行くからと言われ行きたくないと伝えてもダメでした。
結局その電話の後担任が家にきて家に上がり説得され渋々登校しました。
それでもクラスに入ることはできずそのまま母と帰った記憶は今でも覚えています。
あの時のクラスメイトの冷ややかな目線は今でも辛い記憶のひとつです。
いじめられていた訳では全くありません。
小1の頃に紫色が好きでクラスメイトの女子に、紫は死の色だからと言われたことがありましたが、それがひとつのいじめだとしたらそれも不登校になった理由のひとつかもしれません。
不登校になってすぐに親に連れられカウンセリングを中卒まで受けていました。
そこは不登校児が集まって勉強する今で言うフリースクールでした。
私はそこにも馴染めずカウンセリングだけ受けて帰るだけの日々でした。
中学卒業までの出席日数が足りないと言うことがありフリースクールでカウンセリングを受けながら勉強を教えてもらいながら出席日数をなんとか確保でき無事卒業に漕ぎ着けました。
テニスを始めたのは小学6年の夏頃でそこからのめり込みました。
テニスを始めた時の話はまた後日ブログにアップします。
私の不登校時代はメディアから不登校児は犯罪者だのその親も子供も刑務所に入れるべきだの新聞や、テレビでも叩かれる時代でした。
とある大御所芸能人からもある番組でこう言われました。
(不登校になった子供ってただ甘えてるだけやろ?) (親も親で学校に行かさへんって頭おかしいんとちゃうん?)等言われてショックでした。
子供ながらにメディアでああも叩かれ、自分は罪深き犯罪者なんだなって思いました。
今でもふとその時の記憶は鮮明に蘇ります。
でも、私はそういうことを平気で言う人に対してこう思います。
人としての感情の欠落、そして本当の人としての優しさや辛さ苦しみ痛みを経験してない寂しい大人なんだと。
哀れで可哀想な人だと思います。
今でも不登校児が増えたなどのニュースを目にすることがありますが、メディアの方達に私はお願いがあります。
不登校になった子供たちを新聞や週刊誌、テレビなどで取り上げないでください。
不登校は社会の問題ですが、不登校児たちの問題では決してありません。
いじめや、学校に行けない理由がわからない子供たちが数多くいます。
メディアに取り上げられることで子供たちの心を傷つけないでください。
学校に行けない子供たちに私はこう言いたいです。
君たちは勇気ある行動をしていて、その勇気は必ず君たちの未来の力になると。
当時の私はそう思えませんでしたが、今なら言えます。
君たちは何ひとつ悪いことをしてはいないよ。
そのことは胸を張って心に思い堂々としたいことをたくさんして欲しいです。
学校に行かない勇気は必ず夢と希望を君たちにもたらします。
だから今は辛い苦しいって感じることがたくさんあると思うし、どうしていいかわからないよね。
それでいいんだよ。
それで大丈夫だからね。
甘えたい時にたくさん甘えてください。
親、兄弟、姉妹、友人、恋人。
大切な人に甘えていいんだよ。
私にはそれができなかったです。
だからこそ言えることがあります。
今この瞬間の経験は決して無駄にはなりません。
必ず君たちの力となって助けてくれるから。
少し長く話しすぎました。
すみません。
それではこのへんで。
また次のブログでお会いしましょう。