アニメ SHIROBAKO 三話までの雑感 | アラサー、サッカー、オタク。

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一つのものを多くの人の手で生み出すって事の尊さを感じています。
アニメーション。

一枚の絵を何枚も合わせ、動いているように見せる。
技術が上がっても、変わらないその原点はアニメ制作の大変な部分でもあり、人の心を動かす原点なのかもしれません。

アニメーション、二次元には三次元がなし得ない事を可能にしてくれます。
二次元の中で、頭の中にある思考、意図、発送を表現することができる。
その自由度の高さに魅力を感じていました。

そして、SHIROBAKOというアニメに出会った今、自分の考えにあるものが加わりつつあります。
それは、多くの人の手で作られる事によるアニメが持つ力です。

僕は日頃、人の意識や念みたいなものは何らかの形で現実になる、と考えているのですが、アニメが人に与える感動の源は携わる人たちの想いが込められているからなんだ、そんな当たり前でも、見落としてしまっていた事実を感じてきます。

人の思考は現実を引き寄せると思っていて、それはSHIROBAKOというアニメからもなにかしらの意思を感じるんです。
制作の方々が自分たちの事を、経験した話を描いているから、それも多いにあると思いますが、それ以上に多くの人の想いがアニメ一話一話にのせられていて、その当たり前であった事実を見せつけてくれているから、なのだとも思います。

一連の作業の中で、誰かが手を休めたらダメで、しかもそこに作り手としてのこだわりが合わさる事で、作業はすんなりとは終わらない。
なんとか放映というゴールに向けて力を合わせて進む過程の中で、小さな意思、想いが重なっていくのをSHIROBAKOというアニメを通して感じます。

万物に魂が宿るっていう、いかにも日本人的な発想かもしれません。
でも、僕はそんな日本人が好きだし、モノを敬う、崇める感覚は大切にしたいと思います。
そんな意味でSHIROBAKOはアニメーション制作の当たり前をあらためて再確認させ、見る価値のあるものだということを教えてくれた、素晴らしいアニメになってくれるといいな、そんな気持ちでいます。