藤田嗣治展 |  ◆ R I N G O * H A N

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歌うパステル画家5*SEASON鈴御はんの蒼いブログショー

藤田

LEONARD FOUJITA


画家・藤田嗣治。
「ふじたつぐはる」または「ふじたつぐじ」。
日本に生まれてヨーロッパに愛されたエトランジェ。
開催中の展覧会は 平日にもかかわらず
押すな押すなの人だかり。そこはもう美術館ではなく、
オリに群がる日曜日の動物園か、ディスニ-ランド?
歓声こそ上がらなかったけれど、
静寂の中で絵画は その息吹を伝えることを思うと、
人々の後頭部の波を目前に、やや苦々しい思いになった。
その裏腹で、絵という原始の表現に ここまで
人が押し掛けた事実への喜びも、大いにあったけど。
だから美術館の人波の、人それぞれの胸のうちで、
どのような感動が込み上げているのかと、
藤田嗣治の作品を見るより先に私は、
絵を見つめる人々の顔をマジマジ見物してしまった。
悪趣味かもしれないけれど、
鑑賞者は静止した絵画とは対照的に、
生中継で表情を作って見せてくれる。

藤田嗣治の作品は
抽象絵画とは真逆のところに位置するから、
「何がなんだかわけが分からない」
という人は、極めて少ないと思われる。
女性や動物が具体的な仕草をしていたり、
聖書の中から抜き出た場面などが描かれ、
それらはたいへん分かりやすく、
ス~ッと藤田嗣治の世界に入り込める。
中には奇妙なものや無気味な作品もあるので、
腰が引ける場合もあるかもしれない、
が、駆け引きなしの可愛い絵もあるので、
どなたでも必ず「お気に入りの一枚」が見つかるはず。

私が藤田嗣治の絵の中で、特に好きなのは、
シンプルな構図にシンプルな色使い、そして
黒のベタ塗り部分が活かされた作品群。
画面の限られた部分を支配している色、黒。
ここにこそ藤田嗣治の本質が想像できるように思う。

展覧会の構成は、日本を飛び出し、
地球を渡り歩いた藤田嗣治の足跡をたどると共に、
暮らしの場が変わるごとに作風が変わった作品群を
ブロックごとに まとめて展示されている。また、
壁面の色が時代ごとに変えてあるのも、
藤田嗣治という画家に合わせたのだろう。
展覧会の壁は大抵の場合、白が多いけれど、
藤田嗣治の場合はピンク、黄色、茶色⋯etc。

照明を暗くした あるブロックには
異色な絵が三枚展示されていた。それらは
藤田嗣治による暗い色彩の戦争画。
洒落た都会人の作品を描いた藤田嗣治なのに、
そこでは争いを丹念に描いている。
暗黒の狂気が、画家の内面を駆り立てたのか。
キャンバスに叩き付けられていたのは哀しみや恐怖。
世界中が戦争に明け暮れた時代に、
画家自身も転機を迎えた。つまり、
複雑な歴史と いくつもの犠牲を経て、
この私までもが絵を描ける時代になった。

私は藤田嗣治の展覧会をみたことが、
ずっと以前にもある。
あの時、私はまだ絵を職業にする以前のことで、
藤田嗣治という画家の存在など まったく知らず、
なんとなく暇つぶしに立ち寄ったに過ぎなかったが、
藤田嗣治という昭和の人から
画家という仕事がいかに孤独で
終りがないかということを知ったのだった。
今から20年ぐらい前のことで、展覧会はガラガラ、
けれど あの場で絵と会話ができた。

現在『藤田嗣治展』開催中の東京国立近代美術館には、
フレンチの鉄人・石鍋裕シェフがプロデュースされたという
洒落たレストランがあって、そこがまた楽しい。
『藤田嗣治特別メニュー』なんてのもあって、
レオナール・フジタを胃袋へ押しやりながら、
胸に焼き付けた藤田嗣治をお喋りする。
昼間っから天国。ワインなんかもあったりして、
サル~♪と 幸せな気分に。
21日までと会期は残り少なくなっていて
美術館は大混雑が予想されますので、
お出かけの場合は平日の午前中がベストだという話です。

久しぶりに藤田嗣治を見て思う。
世の中 変わったようで、実は変わらないのかも。
なんて思うのは絵を描くようになったことで変わったような、
でも、実は変わらない私がいるからかな。




●東京国立近代美術館サイト『藤田嗣治 展』


近藤 史人 藤田嗣治「異邦人」の生涯