ミスティック・リバー/御大イーストウッド |  ◆ R I N G O * H A N

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歌うパステル画家5*SEASON鈴御はんの蒼いブログショー

Wave


ミスティック・ウェーブ?


父親代わりの同級生という人物が あたしにはいて、
そいつの言葉を借りて言うならば、
あたしというヤツの一番の長所は
「庶民的なところ」だそうだ。
なるほど、と あたしは膝を打つ。
今流行りのセレブだとか、
ブランド品で身をかためているとか、
ミステリアスとか、高尚な文章力とか、
そういった“高い位置の人物”ではなく、
ツッカケをはいて、近所のスーパーで買い物をすませ、
トイレットペーパーをブラ下げて帰ってきそうな、
とにかく平凡で、どこにでもいそうな「庶民代表」の人。
まぁ、はっきりいうと お金持ちではなく、
ささやかに日々を生きているわけです。

こんな庶民代表のあたしには
クリント・イーストウッド監督の最近の映画には、
どこか現実味がなく、
かなり高い位置で作られているような、
スマートさを感じ、観賞後は感情が空虚で、
作り手のメッセージは ほとんど響いてこない。
たとえば、ピラミッドの頂点で映画を作っているような、
そんなセレブの香りのせいで、
訴えかけてくる力は かなり乏しい。
いや、作品それ自体は 間違いなく素晴らしいけれど。
いやいや、そつがないというべきか…。

たとえば、去年観た『ミスティック・リバー』。
そこに出てくる人間のほとんどが庶民であるというのに、
なぜか、リッチな香水の匂いがプーンとするのは なぜ?

『ミスティック・リバー』が公開された当時、
熱いメッセージを よく聞いたものだ、
傑作だと絶賛する声、
反対に結末に激怒する声、
大きくわけると この2つの感想だったが、
あたしが感じたのは
「この映画より現実の方が もっと悲惨だろうに」
という冷めたものだった。
確かに、脚本も音楽も画面も演技も素晴らしかったし、
傑作には違いない。けど、この映画について あたしが、
熱い想いを巡らせることはないだろうと
ラストで静かに流れる川の映像を目にしたとき、
瞬間的に感じたし、その通り 今は記憶から
『ミスティック・リバー』は完璧に抜け落ちている。

イーストウッド監督の近作のように、
世の不条理をあぶり出す、
社会派の作品に触れる機会を、
あたしはとても重要だと思っている。
けれど その場合、あたしは どちらかというと 巧さよりも、
未完でもいい、荒削りでもいい、欠点だらけでもいい、
たとえば あの人とか この人のように、観る者や社会へ、
力強く訴えてくるエネルギーのようなものを感じたい。
そして、それを若さというのだ。

男は生涯、夢を追い掛ける少年だ、なんていうけれど、
イーストウッド監督の映画には少年はおろか、
その影すら見ることはない。
一方、トイレットペーパーをブラ下げて帰ってくる、
庶民代表で現実派のあたしの中には、
「これから こうなったらいいな」
という ほんのり色付いた夢と、そして少女が住んでいる。
その少女が、イーストウッドが描き出す大人社会を
強く強く否定するのだ。
『ダーティーハリー』なんかの頃のイーストウッドは、
めっちゃくちゃ若くて、いい。
それは見た目だけでなく。

さて、最新作の『ミリオンダラー・ベイビー』は、
どうなんかなぁ。
相方のでこは、撃沈した模様じゃが…。

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相方・でこへの同意と反論
おおきに! 『ミリダラ』先行観賞、お疲れさん!
でこが いうように御大の映画を
「おもんない」って言い切るヤツはあたしは好きじゃ。
しかーし! ヴァンヴァンの『ブルーベリー』は
人の道として必ず公開すべしっ! キミに観に行けとは
絶対に頼まんてっ! キミが観たら
『ブルーベリー』が『ベリーロール』になってしまうもん。
…なんのこっちゃ。

●あたしの写真をなめるように見ている
コマ犬の相方・でこのブログ


*追記


今日のこぶちゃんの五本指靴下