虚映画『うそうそ時2』 |  ◆ R I N G O * H A N

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歌うパステル画家5*SEASON鈴御はんの蒼いブログショー

白キツネ

 

【うそうそ時】
物がはっきり見えない夕暮れ時、
または夜明け前。

「ほんとにある‥‥」
以前、ハト君があたしに話してくれたうそうそ時
あたしはシャレのような字ヅラを眺めて
ふふんと笑ってしまった。

新宿ゴールデン街の どこか一角に、
“うそうそ時”にだけフッと現れるらしい
『時』というお菓子屋の話を
あたしは あまりに夢々しいので、
ハト君の作り話じゃないかと思ってた。
だから“うそうそ時”という言葉だって、
あたしにウケようとして作った
“うそ言葉”ではないかと あやしんでたけど、
しっかり辞書に載ってる、ということは
あの話も本当のことかもしれない。
ああ よかったと あたしは ちょっと、いえ、
かなり喜んでる。なぜなら、あたしは
『時』という店に行ってみたいから。
そもそも あたしは信じてる。
化学とか経済とか、そういった人間の圧力が
まったく及ばない世界が世の中にはあって、
あたしの目の届く範囲のどこかで
その入り口は きっと存在するに違いないと。
というか、あたしは
人が絵空事と小馬鹿にする物語を
心の拠りどころにしているというか。
だから、あたしは今朝、決心したのだ。
うそうそ時と思われる時間に、
ゴールデン街を歩いてみようと。
いつもより めちゃくちゃ早く起きて、
あたしはゴールデン街の入り口まで自転車を走らせた。
何時だったか、
時計を持ってなかったので、詳しく覚えてない、
家を出たのが午前5時過ぎだから、5時半になる前の、
まだ朝と呼ぶには暗かった時間のこと。

新宿の歌舞伎町を抜けたところにあるゴールデン街、
そこは時代から捨てられた空気が たっぷり漂う所。
早い話が まったく垢抜けなくて、あたしが今朝、
「ゴールデン街」という看板の下に立ったときも
じっとりと辛気くさく、実にメランコリックだった。

あたしは自転車を大通りの端に置いて、
ゴールデン街の中へ入っていった。そこは、
「まだまだ夜を離さない」とかなんとか、
街全体が 独り言をいっているような風情。
目と鼻の先にある歓楽街・歌舞伎町は
この時間になると さすがに狂気を失い、
特種とはいえ、和やかさが漂っているというのに、
ゴールデン街は相変わらず、
異次元の静けさに包まれていて、
それは異星を歩く気分に等しいだろうと思ったりした。
あたしはココへ来るたびに思うのだ
「ゴールデンとは うまく言ったもの‥‥」。
「さて」、
と 心で自分に言い聞かせ、あたしは、
この街のどこかにあるらしい『時』という店のことを
もう一度 復唱してみた。ハト君の話はこうだ、
<青>飲み屋街にあるのに飲み屋ではなく
おじいさんとおばあさんが交代で、
のんびりと店番をする古いお菓子屋。
店には お菓子の他に“想い棚”という棚が奥にあり
そこには迷子になった多くの人間の“想い”が
丁寧に瓶詰めされ、大事に保護されていると。
そのとき頭には チラッとハト君の横顔が よぎり、
しみじみとこう思った。
うそうそ時という不確かな言葉が似合うのは
世界中を探したとしても、この街以外に ないだろうと。

夜明け近くのゴールデン街を歩いているのは
あたしひとりだった。
細々とした道の両端には、小さな呑み屋がひしめき、
ドアのあちこちから、コソコソと声が洩れてくる。
声は どれもこれも まるで張りがなく、
このとき この街で「きちんと新しい一日を迎えた」のは
おそらく あたしだけで、
ここの誰もが「まだ昨日のまま」なのだ、
あたしは、時間のトリックの果てに来ていた。
ゴールデン街の「花園一番街」を通り過ぎ、
次に三番街も過ぎ、そして五番街に差しかかったとき、
前から“昔のお姉さん”が、
くわえ煙草で 煙をスパスパ はきながら、
大きなゴミ袋を持って歩いてきた。
しずしずと無口にすれ違う、漂う微妙な緊張感、
その時チラリと目にした“昔のお姉さん”の唇が、
明け方には かなり鮮やかなド・ピンク、
ギョッとして のけ反って見てしまった‥‥と、そのとき、
ガサガサ ガサガサ
“昔のお姉さん”が持っているゴミ袋の音にエコーが かかり、
不自然に ずんずん大きく響いてきた。
ガサガサ ガサガサ
「なんだろう?」と その場に突っ立っていると
サワッと心地良い風が吹き抜けた。

しなやかで、劇的な風がいった後、
まるで雰囲気満点とばかりに、
どこからともなく カスミが流れて来た。
それに甘い香り。ほのかに甘い香りがする、蜜のような、
いや何だろう、そうだ、“あの人”に尋ねてみよう、
ゴミ袋を持った女性の後姿を目を凝らして探した。なのに、
カスミのせいで 周りのものが よく見えない。
ただガサガサという音だけは、
さらに大きくなり、確実に聴こえてくる。
「すみませーん!」と
あたしは声を出し、音の方へ駆け出した。そのとき、
シュタッ ! とあたしの前に
フワフワした白いものが降り立った。
シッカリとは見えなかったけど、
あたしには分かった、目前にいるのは 一匹のキツネ!
「ああ、近くの花園神社のキツネかな?」
なんて日本昔話のようなことが、
都会のド真ん中であるわけないし、思い付くのも変だ、
なんて突飛なことを思ったものか、
ウロウロ している あたしを
白いキツネは、じっと おとなしく見据え
シッポを 軽やかに振っている。それが どことなく
「こっちへおいで」と招いているように思え、
それで、あたしは全てが理解できた!

きっと白いキツネの後をついていけば、
『時』という店へ行けるにちがいない、今、あたしは
うそうそ時に立っている!
さ、キツネに ついていこう!
それにしても、ああ、この甘い香り、
懐かしい蜜の元はなんだろう、カルメ焼きでもない、
綿菓子でもない、そうだ! あれは‥‥!
ポーン!
あたしの背中が、何かゴツゴツしたものに弾かれた。



しっかり朝だった。
あたしは靖国通りの喫茶店『タイム』で、
朝食の目玉焼き付きモーニングセットを食べてた。
「この目玉焼き、焼きすぎ!
 それに、あたし 絶対に目玉焼きは醤油派なのに、
 醤油が置いてないなんて、サイアク!」
あたしが吐き出したとき、向いにいたハト君は何も言わず、
けだるくコーヒーを咽に流してた。
きっと それは、イラついているあたしを、
ていよく無視している、そう察したから
あたしは醤油がないことより、
ハト君の態度にムッとして、
ついつい憎まれ口を言ってしまった。
「あのとき、ハト君が声をかけなかったら、
 あたしは『時』へ行けたっ!
 くやしいっ! なんで振り返ったんだろう!
 わざと邪魔した?」
ハト君は相変わらずクールで、
黙ってコーヒーを咽の奥へと流してた。
けど、今度は口尻があがり、
そこには笑いが含まれていて、しかも
吹き出さないよう堪えているのが分かったから、
いやに可笑しくて、あたしとしたことが
そこでフッと笑ってしまった。

今朝、あたしは結局、
白いキツネを追わなかった。
いや、正確には「追いかけることが出来なかった」。
何故なら、あたしがキツネの後をついていこうと、
ゴールデン街をフラフラ歩き始めたとき、
誰かに肩をポーンと叩かれた。
振り返ると、そこにはハト君がいた。
ゴールデン街にある友だちの店で、
ひとり呑んでいたハト君は その帰り、
明け方のゴールデン街の真ん中で、
ボーッと突っ立っている女を見つけて妙に思い、
しかも よく見ると それが あたしだったものだから、
かなりビックリしたそうだ。が、
それは あたしだって同じこと。
「わーっ ハト君! なんで?
 あ、それより、見て見て、ほら白いキツネ!」
あたしは急いで前方を指差した、でも
そこには、もう白いキツネの姿はなく、
カスミも消えていた。
「‥‥?」
ポカンとする あたしの横を、
さっきすれ違った“昔のお姉さん”が
ゴミを出して通り過ぎた。口元に煙草はなく
すれ違い様に見た唇は、ド・ピンクではなく色褪せて、
そうして甘い香りが そこに残された。


「ポン菓子だ! あの人、ポン菓子を食べたんだ!
 だから口紅が はげてワクだけになってた、
 そうに違いない!
 あー、ポン菓子の匂いが、たまらんかった!
 絶対にあの匂いはポン菓子!」
それを聞いたハト君は、ポン菓子が どうだとはこたえず、
今度は水をゴクッと飲んで、
「うそうそ時に約束もなくバッタリ会うなんて、
 うそみたいに劇的だなぁ」。
‥‥あたしは ちょっと恥ずかしくなったというか、
急に悪態をついたことが照れくさくなったというか、
あわてて「あの白いキツネって‥‥」と言おうとして
塩コショウ味の目玉焼きをパクッと食べた。

目の前で、ハト君は 2回続けて大あくびした。
口の中で金歯がキラリと光ったのが見え、
あたしは それが田舎の父と同じ場所にあることに気付き
ひとりでクスクス笑ってから急いで、
残りの目玉焼きにパクついた。そして、何か話さなければと、
「うそうそ時は一日二回‥‥」と言いかけたとき、
ハト君は もう腕組みをして眠ってた。
あたしは その寝顔を見て確信した、
ほら、やっぱり『時』という店は実在する!

あたしは通りにある、この店の『タイム』という看板に誓った、
今度は明け方じゃなく
暮れ時にゴールデン街へ行こう。
キツネのための お揚げさんも忘れずに。

           虚映画『うそうそ時2』 <完>