イブラヒムおじさんとコーランの花たち |  ◆ R I N G O * H A N

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歌うパステル画家5*SEASON鈴御はんの蒼いブログショー

バカラクリスタル。
映画を観た恵比寿ガーデンプレスのアトリウムに展示。


トルコ好きの私としては、
この映画の予告でボスフォラス海峡を行く船の映像が流れただけで、
「いただき!」であったし、それプラス、
「おっさん好き」でもある私は、
匠の誉れ高きオマー・シャリフが演じるイブラヒムおじさんの、
奥深い眼差しにググッと惹かれて「必然観賞」となったのだ。
あれは『グッバイ!レーニン』を観たときのこと、
映画を観終わった後、あたしは ただちに
劇場窓口で前売り券をお買い上げ。
チケットの番号はまだ若く、5番。今年の春のことであった。
そうして待つこと、8ヵ月。
ようやく恋しいイブラヒムおじさんに会ってきた。
公開が延び延びになったこともあるけど、
やってる映画館が駅から遠いねんかなー
恵比寿駅から徒歩15~20分ぐらいなので、お尻が重くなるねん。
ワッシーからきいたけど、
大阪のガーデンシネマも駅からずいぶん歩くらしい。
ガーデン系って、散歩してから観てくださいがテーマなん?

さて、本題。
『イブラヒムおじさん~』を観ている途中、
あたしは以前に観た『うつくしい人生』という
地味なフランス映画のことを ふつふつと思い出してた。
~おそらく、世の中の ほとんどの人が
激動ではなく淡々と、そして平穏に人生を終える。
だからこそ人生は すばらしい~ 
映画は こんなことを唱っていて、
そのラストに映された「人生の勝者」に あたしは涙した。
勝者、それは ひとりの老人、涙腺爆発の あたし‥‥‥
そして幕→ライトオン。

『イブラヒムおじさん~』を観終わった後でわかったのだけど、
2つの映画はやはり同じ監督だった、やっぱり分かるんやね。
『イブラヒムおじさん~』も実に淡々とした映画で、
舞台は'60年代のパリ。主人公はユダヤ人の少年モモで、
彼に人生の素晴らしさを教えてくれたのは実の親ではなく、
この映画の人生の勝者、イブラヒムおじさん。
おじさんはトルコから移民してきた人物で、
パリの下町でひっそりと万屋を営んでる。
そして、忘れちゃならない“花たち”の存在。
モモにはイブラヒムおじさん以外にも、別の先生がいる、
それが“花”で、通りで春を売る売春婦のこと。

この映画の中心人物は、ユダヤ人とトルコ人。
つまりユダヤ教とイスラム教。
この人間関係は深い、どうしたって、
今イラクで起こっている戦争を重ねてしかるべき、なのに、
この映画はあくまでサラっと、物足りないくらいサラっと描く。
そのうえ、物語は起伏にとんでいるわけでもないし、
とりたてて親切な説明もない、あるのは
60年代の音楽と“花”とイブラヒムのコーランだけ。
けれど、あたしはイブラヒムおじさんが
目尻に深い皺を刻んでこう言った時、
胸の奥からググッと熱いものが込み上げてきた。
「モモ、笑ってごらん」

くーっ! 今日こそコンパクトにまとめようと思ったのに、
また長くなってしもたやん。くそっ! (つづく)

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相方へのツッコミ
ジョイ君なぁ、大好きやねん。あんな息子がほしいよぉー。
ジョイ君欲しさに、あたしってば、いらん洗剤を買ぉて、
「ジョイ君マグネット」とか手に入れて喜んでるねん。
今、冷蔵庫に貼ってあるねんで。ええやろーあげへんで。
ほんま、ええ子やなぁ、ジョイ君。かわいいわぁジョイ君。
なのに知りたくなかった、声をあててるボクが、
大人の手垢で汚され、ダコタ化が進んでるなんて‥‥。
“ジョイ声の少年”を大人の魔の手から救うのは
もはや手遅れなのか? OH! はがゆい!

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