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この話は二年前、ある出版社が わたしの相棒
というタイトルで募集した短編小説に応募した時の作品です。

日の目を見ることはありませんでしたが…

(ちなみに、実話ではありません)


          ↓


      《わたしの相棒》

 八時三分発通勤快速東京行き、前から三両目の二つ目の扉、私が毎日電車に乗る場所だ。

「生真面目な人だ」と誰にでも言われる私の性格を表しているのだろう、毎日同じ時間、同じこの場所から電車に乗っていた。

別に次の電車でも仕事には十分間に合うのだが、この時間の余裕が毎日の仕事の中での気持ちのゆとりにつながっているからだ。

それともう一つ、私にはどうしてもこの電車に乗りたい理由があった。

好みのタイプの綺麗な女性がいつも乗っているから…まあ、二十代の男だったらそれも立派な理由の一つになるだろうけど、もうすぐ還暦を迎える私だったら誰もそんな理由には共感してくれないだろう。

でも、この電車に乗る目的が女の子であることには間違いなかった。

なんだか犯罪の匂いが漂って来そうだが、決してそんなことはない。

何故なら私が目的としている女の子は、まだ保育園に通っている子だからだ。
 
その子の存在に気が付いたのはごく最近のことだった。

いつもお母さんと一緒にこの時間に電車に乗るのだが、まさに通勤のピークの時間、いつもギュウギュウ詰めの車内で押し潰されそうになっていた。

「可愛そうだな」

そんなふうにいつも思っていたけど、この混雑じゃどうにも出来なかった。

その子はいつもお母さんに抱っこされて電車に乗っていた。

お母さんの首にしがみつきながらじっとしているけど、その目からは今にも涙がこぼれ落ちそうだった。
 
きっと何か事情があって電車に乗らないと通えないような遠い保育園に通っているんだろう。
 
田舎育ちの私の子供の頃の記憶は、お母さんの自転車の後ろに乗って保育園まで送ってもらったものだった。

雨の日は雨ガッパを着せてもらって歩いて行ったけど、それでも保育園は家のすぐに近くにあると思っていた。

小学校も、中学校も歩いて通っていたし、高校生になって初めて通学にバスに乗ったぐらいだから、電車に乗って保育園に通うなんて私にとっては凄く違和感を感じることだった。

少子高齢化か進み、子供が減っている今の日本。

その一方で保育園等に入れない待機児童と言われる子供が沢山いる。

難しい原因は色々あるのだろうけど、何だか変な現象に思えてしまうのは私だけだろうか。

きっとこの母親も同じような気持ちなのかもしれない。

その親子が電車に乗っているのは一駅だけ、時間にしたら三分位だろうが、大人の私でも出来ればこの混雑した電車には乗りたくないと思っているのだから、きっとあの子にしてみればものすごく苦痛な三分間に違いないはずだ。
 
ずっと可愛そうだなと思いながらその親子を見ていた私はあることには気が付いた。

子供を抱っこしたお母さんは必ず扉のすぐ横に立っていた。

次の駅で降りるのだから、扉のすぐ近くにいたほうが降りやすいし、椅子の横の手すりに体を押し付けていれば多少の揺れでも耐えられる。

子供を抱っこしているから両手はふさがれてしまっているし、きっとあのお母さんにしてみればベストポジションなのだろう。

電車に乗る時に意識して見ていると、明らかにその場所を狙っているような動きをしていた。
 
それなら私もその親子の近くに立つことが出来ないか考えた。

混雑の中電車に乗る時、どうにかその親子の前に立てるように電車に乗るように動いてみたが、やってみると意外と簡単だった。

多少他の人に、なんだこいつ…みたいな顔はされるけど、そんなことは気にしないでいた。
 
その親子の前、言ってみれば私のベストポジションをキープすれば後はそんなに難しいことはない。

電車の扉が閉まったら、片腕をドアにあてて踏ん張るだけだ。

電車が揺れるたびに後ろから物凄い圧力が掛かってくるけど、どうにかその圧力を体で抑えてお母さんが押されないように頑張るだけだ。
 
それからというもの、毎日そのベストポジションに立つことが私の日課になっていた。

揺れる電車の中で少しでもその親子が押されないように頑張っていた。

ハッキリ言って、自己満足の世界ではあったけど。
 
そんなことを始めて数日がたったある日、いつものように私はベストポジションに立ち踏ん張っていたが、いつもより後ろから掛かる圧力が軽いことに気が付いた。

周りを見てもいつもより空いている分けではないし、最初は気のせいかとも思ったけど、やはり明らかにいつもより体に感じる圧力が弱い。

何気なく頭の上を見てみると、そこには手すりを力強く握りしめた腕があった。

そう、その人は私の後ろに立ち、私に負担が掛からないようにしていてくれていたのだ。
 
混雑のため振り向くことができないので、顔を見ることができなかったが、わずかに自分の肩越しに見えたのは、茶色く染まった髪の毛だけだった。
 
私がその人の存在をハッキリと確認できたのは次の日だった。

いつものように駅のホームに着くと、私がいつも電車に乗る場所の手前にある売店の横に茶髪の大学生位の子が立っていた。

私はその子が昨日の人だとすぐに確信することができた。

私がその子の横を通り過ぎると、その子は私の後に着いて来た。

電車が到着し、私がベストポジションを確保しようと動いている後ろで、彼なりのベストポジションを確保しようとしていたのだ。
 
人は見かけによらない、と言っては失礼かもしれないが、「今の世の中不満だらけだ…」と言わんばかりのふて腐れた顔をし、そんな世の中の雑音をシャットアウトしたいがために、両耳はイヤホーンでふさがれていた。

でも、電車が揺れるたび必死に、私の負担を軽くしてくれているのはハッキリと分かった。

何かあると〝ゆとり世代〟と言われてしまう年代の子。

学力低下なんて言われるけど、そんなに気にすることはないだろう。

震災の時もそうだったし、以前テレビである有名スポーツ選手も言っていた。

「人を思いやる心、チームワークなんて僕たち日本人は、持って生まれた能力なんだから」と。

私も同感だ。

でも、たまにそれを忘れてしまう人もいるのも事実で、それが私にとって寂しいことではあるが。
 

今日もいつもの時間の電車が到着したぞ。

ただな…

実は昨日可愛い孫と遊んでいたら、腰を悪くしてしまったみたいで、いつもより踏ん張りがきかないんだ。

だから今日は、今まで以上に君の助けが必要なんだ。
 

電車に乗り込み、皆ベストポジションを確保した。

さあ扉が閉まり、三分間の戦いの始まりだ。



頼んだぞ、相棒。