●本稿の構成
検証 御殿場事件―「有罪」の法律論的カラクリ(1)
1. はじめに―本稿の目的、議論の焦点など
(1)本稿の目的
(2)議論にあたって
(3)議論の焦点
(4)参考文献に関して
2. 訴因変更請求―なぜ同事件で訴因変更請求が認められたのか
(1)刑事訴訟法における訴因変更請求の趣旨・目的
(2)同事件で訴因変更請求が認められる特有の法的事情
(3)結語
検証 御殿場事件―「有罪」の法律論的カラクリ(2)
3. 共犯者の自白―被告人4人が有罪とされた最大の法的問題
(1)刑事訴訟法における共犯者の自白の法的論点
(2)他の冤罪事件と同事件の比較
(3)結語
4. まとめ
(1) その他若干の法的論点
(2) 御殿場事件における「有罪」の法律論的カラクリ
●検証 御殿場事件―「有罪」の法律論的カラクリ(1)
1. はじめに―本稿の目的、議論の焦点など
(1)本稿の目的
私は約2週間前に次の記事を見た。『強姦未遂で服役終えた元少年4人「無実」と提訴』(2012年2月6日11時48分 読売新聞)http://
ところで、同事件については、テレビ朝日の「ザ・スクープ」での報道を契機として、主にネット上で実に多くの意見が出されているが、筆者が上記 番組やネット意見を見て感じたことは、同事件における「冤罪性(冤罪の可能性が高いこと)」が、もっぱら同事件の概要面や事実認定についての判決内容(法 廷審理)面から言及されていることである。そして、被告人4人がなぜ「有罪」とされた(されてしまった)のかという「法律論的カラクリ」については、必ず しも十分に言及されていない、もしくは全てまとまって説明されている意見がない印象を受けた(それがネット等の議論を白熱させている原因の一つでもあろ う)。そこで、本稿は上記の「法律論的カラクリ」を説明するものである。
(2)議論にあたって
上記の「法律論的カラクリ」を本稿で説明するにあたり、読者の皆様にご理解を頂きたいのは、本稿はあくまでも「法律論的カラクリ」を説明するも のであって、決して「被告人4人は無罪だ、無罪にすべき」あるいは「有罪だ、有罪にすべき」といった「是非論」を展開しないことである。筆者が本稿を記し たのは、同事件の法律論的問題を明らかにするためである。したがって、読者の方々には、ここでの筆者の見解をもって、あくまでも筆者が「被告人は実際に強 姦行為をした、していない」「冤罪事件だ、冤罪事件ではない」ことを論じていると曲解なさらぬようお願いする所存である。
ただそうは言っても、読者の中には「書き手が態度を明確にしないのは卑怯だ」とおっしゃる方もいるかもしれませんので、筆者の同事件に対する雑 感を申し上げます。すなわち、同事件は「当初9月16日にアリバイがあった被告人が無罪である可能性は必ずしも否定できないが、一方で、日本における現在 の刑事訴訟法の考え方から行けば、有罪と認定される(されてしまう)可能性が高い」というのが雑感です。そして、本稿はまさに「日本における現在の刑事訴 訟法の考え方」を論じるものです。よく同事件を含む冤罪が疑われる事件では、「疑わしきは被告人の利益に」という1975年の白鳥決定を挙げて、「だから 冤罪だ」で終わってしまう方がおられます。しかし、それは「一般論」としては至極正しいですが、「実際に被告人が無罪を勝ち取れるか、あるいはどうやって 勝ち取るか」という裁判では「全く意味をなさない空文」であり、少なくとも法律学を学んだ(研究した)者は「事案に応じた実質論」を展開しなければならな いと筆者は考えます(実際、上記の白鳥事件では再審自体は認められませんでした)。
(3)議論の焦点
したがって、以下本稿では「訴因変更請求」「共犯者の自白」における日本における現在の刑事訴訟法の考え方を中心に展開し、同事件の「冤罪性」 の文脈で言及される「天候」等の事実認定問題は特に検討しない(なお、それは決して被告人が有罪だと立論したいために検討しないわけではない)。もっとも 「訴因変更請求」「共犯者の自白」「その他の論点」で問題にされる事実関係は議論に応じて触れる。
(4)参考文献に関して
(i)ネット・非法律的文献に関して
一定の概要理解にあたり使用したのはwikipediaであり、正確な判決文や法廷審理を知るために使用したのが最近発売されたジャーナリスト 長野智子氏の『踏みにじられた未来―御殿場事件、親と子の10年闘争』幻冬舎,2011年である。その他、筆者が調べた限りで、同事件の法的論点を説明し ている個人のブログは、「御殿場事件と訴因変更(下)」http://
(ii)判例文献および学術文献に関して
まず御殿場事件の判決文およびその評釈を掲載している論文は、筆者が調べた限りでは現在のところ存在しない(これは同事件の冤罪性を強める根拠 になるかもしれない?)。一部TKCローライブラリーに掲載されていると見受けられるネット上の引用が存在するが、TKCは有料サイトなのである。した がって、TKCの文献を引用できない点は何とぞご了承を頂きたい。もっとも、TKCローライブラリーから引用したと思われるネット上の文献(http://
次に「訴因変更請求」「共犯者の自白」「強姦罪」に関する法律文献および学術文献については、できるだけ学問的水準が高いと思われる文献から使 用している。なお、本稿は学術論文ではないので一部「孫引き」(学術論文なら無論ダメな行為)を行っているが、「孫引き」箇所が決して原典部分の趣旨・内 容と異なっていないと容易に判明できる記述を引用している。そして、これらの引用は、(i)と同様に、いずれも著作権30条1項の私的複製に基づくもので ある。また引用文献はあくまでも一般的な刑事訴訟法の観点から論じられているので、引用文献の著者が「御殿場事件」という一つの事案に対しての評価を示し ているわけではないことをご理解頂きたい。
<本稿執筆にあたり検討した主な学術文献>
1松尾浩也=井上正仁編『刑事訴訟法の争点[第3版]』有斐閣,2002年
2鈴木茂嗣「公訴事実の同一性」『田宮裕博士追悼論集[上]』信山社,2001年
3上口裕「公訴事実の同一性」『光藤景皎古稀祝賀論文集』成文堂,2001年
4田宮裕『刑事訴訟法[新版]』有斐閣,2004年
5福井厚『刑事訴訟法学入門[第3版]』成文堂,2002年
6山口厚『刑法各論[第2版]』有斐閣,2011年
2. 訴因変更請求―なぜ同事件で訴因変更請求が認められたのか
(1)刑事訴訟法で問題とされる訴因変更請求の法的論点
なぜ同事件で訴因変更請求が認められたのかをいきなり説明する前に、まずは同事件における訴因変更請求の一般的な批判と、上記「御殿場事件と訴 因変更(下)」ブログの内容を紹介したい。同事件における訴因変更請求の一般的な批判は次のようなものであろう。すなわち、犯行日自体が訴因変更されれ ば、被告人側の弁護士(ら)によって立証された被告人(ら)の当初犯行日におけるアリバイもすべて徒労に終わってしまうことになり(同趣旨:長野71頁 等)、 被告人の防御の利益を害することになる。ゆえに、同事件における訴因変更請求は認められないという批判である。次に上記ブログの内容を説明する。
その前提として上記ブログの法的評価をすれば、上記ブログの見解は非常に正しい。正しい点は以下である(若干不正確な記述は大筋と全く関係のな い瑣末な部分である)。第一に、同ブログは、訴因変更請求が「公訴事実の同一性」の範囲内でしか許されない(刑事訴訟法312条1項)ことを指摘してい る。第二に、同ブログは、「公訴事実の同一性」は、これまでの裁判例で「基本的事実関係の同一性」基準で判断されていることを指摘している。第三に、同事 件の訴因変更請求は新旧非両立の「非両立性」にあるか否かで判断されることを指摘している。そして、同ブログの筆者は次のように締めくくる。
「さて、非両立の基準を使うと、結局はよっぽどぜーんぜんテーマの違う訴因に変更しないかぎり、全て訴因変更は認められることになるであろう。そ れがあるべき訴訟のあり方なのかは、一つの問題である。とはいえ、なぜ御殿場事件で訴因変更が認められたかは、以上のようにして説明できることになる。お そらく、あの裁判長でなくとも、訴因変更は認められた可能性が高い(注)。まあ、御殿場事件の本当の問題は、訴因変更というより経験則違反の疑いの濃い 数々の事実認定にあるんだけどね」
「(注)御殿場事件では、9月16日の防御に完全に成功したところで、9月9日に訴因変更した。これは、さすがに不意打ちの度合いが強すぎるだろ う。とすれば、あまりに被告人の不利益な時期に訴因変更し、防御の利益を著しく損ねるということで、訴因変更を認めないとする決定は、検討されるべきで あったと思う(関連判例を挙げて)」
上記の「経験則違反の疑いの濃い数々の事実認定」は、恐らく次号で述べる「共犯者の自白」か、天候等の事実認定の問題を指すと思われる。ところ で、同ブログの著者は間違いなく法律分野に知悉しておられる方である。そして、恐らく法律分野の知識を一定程度有する者は、御殿場事件において、裁判官が 検察官の訴因変更請求を肯定した判断は、刑事訴訟法的観点から見れば、「正しい」あるいは「時期的変更の観点(上記注。次で扱う)からは考慮ないしは認め られないが、公訴事実の同一性自体は肯定されるべき」という考え方が間違いなく大勢を占めるであろう。筆者も、同事件における訴因変更請求は肯定されると いう考え方である。
しかし、当初犯行日では無罪になる被告人を、犯行日自体を変更することで有罪に持ち込める「訴因変更請求」という制度は、そもそも一般の方には理解し難い制度であるように思われる。そこで、以下では、なぜ同制度が認められているのかについて検討する。
訴因変更請求が刑事訴訟法で認められている最大の理由は、刑事訴訟法に「一事不再理」原則が認められているからである。一事不再理とは、ある刑 事裁判について、確定判決がある場合には、その事件を再度実体審理することは許されないという刑事訴訟法の原則である。この一事不再理効が及ぶ客観的範囲 は上記の「公訴事実の同一性」の範囲であると通説的には解されている。そして、上記ブログが指摘するように、「公訴事実の同一性」とは、加害者や被害者・ 犯罪行為等の基本的事実関係が同一であれば肯定されるから、同事件の事実関係だけで考えると「公訴事実の同一性」が認められる。要するに、訴因変更請求と は、起訴時における検察官の主張・立証計画の不備を救い、同一手続を利用して有罪を確保するための制度であり、さもなければ、被告人を再起訴し再度別訴で 罰するしかないが、それでは被告人の「犯罪者か否か」という地位をいつまでも不安定なものにする恐れがありかつ訴訟経済にも反することになる。まして、同 事件の事実関係のように「公訴事実の同一性」が認められることが明らかな事案では、訴因変更請求をしなければ「一事不再理」原則が機能して被告人をもう二 度と罰することはできない可能性が非常に高い。しかし、それは刑事訴訟法1条の「実体的真実の確保」に反する。ゆえに1回の裁判で被告人の「有罪」「無 罪」を決定した方が良い。したがって、訴因変更請求制度は刑事訴訟法上必要であるというのが、刑事訴訟法の「建前」なのである。
(2)同事件で訴因変更請求が認められる特有の法的事情
前項では、一般の方には理解し難い制度である「訴因変更請求」という制度が、刑事訴訟法上の「一事不再理」という考え方から来ていることを説明した。ここでは、前項で少し指摘された「時期的変更の観点」を説明し、同事件との比較を試みる。
さて、前項での指摘は「(注)御殿場事件では、9月16日の防御に完全に成功したところで、9月9日に訴因変更した。これは、さすがに不意打ち の度合いが強すぎるだろう。とすれば、あまりに被告人の不利益な時期に訴因変更し、防御の利益を著しく損ねるということで、訴因変更を認めないとする決定 は、検討されるべきであったと思う(関連判例を挙げて)」 というものである。これが「時期的変更の観点」である。
そして、上記の観点は、刑事訴訟法上、一般的には①時期的・時間的要素(変更請求の時期、審理期間の長さ等)、②被告人側の事情(被告人の従来 の防御活動の内容と効果、新訴因に対する被告人の防御の困難さの程度等)、③検察官側の事情(審理の途中で訴因変更の機会があったか否か等)、④事案の重 大性、⑤新訴因の有罪の蓋然性等の総合的に判断されるとしている。しかし、学識者の中には、訴因変更制度の趣旨から、審理の経過によって新たな事実が判明 した場合にも、無罪心証の形成という基準のみで訴因変更を一律に不許可とするのは疑問であるという見解もある(山中俊夫)。
そこで同事件を比較する。①は、「2回目の公判」で行われており、判決までに被告人側に十分な時間が与えられたと認められる。②は、「9月9日 の被告人のアリバイの立証さ」が問題となるが、多くの刑事裁判例から見ると、アリバイの立証的困難さだけでは「時期的変更の限界」を認めることはできな い。③は、検察官は「少女の公判廷による証言で9月9日に犯行が行われたことを確認した」と評価できる(ただし検察官は被告人4人のアリバイを十分に確認 しなかった点で一定程度の落ち度はある)。④は、「犯行日自体の変更」であるが、被告人4人以外の被告人が自白をしていることから、そこまで重大ではな い。⑤は、④の事情からも認められる。したがって、「時期的変更の観点」からも同事件における訴因変更請求は認められる。
(3)結語
以上にわたって、「訴因変更請求―なぜ同事件で訴因変更請求が認められたのか」を法的に検証してきた。同制度がとりわけ報道はじめ一般の方にさ らされた最大の要因は、「訴因変更請求が、(i)そもそも検察官が被告人を有罪に追い込むための制度であり、かつ(ii)可能な限り1回の裁判で被告人の 有罪・無罪を決するための制度であること」「公訴事実の同一性概念の分かりにくさ」にあると思う。さらに言えば、刑事訴訟法学者や法律関係者は、上記の考 えを当然に理解しているから、御殿場事件の訴因変更請求自体に対して、誰も学問的見地から意見を述べることはないのである。
実際に、訴因変更請求に際して審査される「公訴事実の同一性」の刑事訴訟法上の議論は、その判断基準に関して百花繚乱の状況の様相を呈している が、概ねその議論の中心は、新旧両訴因が、同一の構成要件にあるか(類似するか)、行為態様および結果の事実関係が同じか(類似するか)、刑罰関係の択一 関係(一方が成立すれば他方は成立しない。非両立性の概念とほぼ同義)にあるかで判断するか否かの議論であった。そして、上記議論のうちどの説を支持しよ うとも、同事件の訴因変更請求は肯定されるのである。
最後に、同事件の訴因変更請求に関して、筆者の所感を述べる。筆者の所感は「同事件を通して、日本の刑事裁判の実状が顕在化している」というも のである。すなわち、日本の刑事裁判はしばし有罪が99.9%だと言われる。その実務的要因の一つとしては、検察官の公訴提起における実務的運用がある。 日本では、検察官が被疑者に対して不起訴処分をなす場合には、「犯罪の嫌疑なし又は不十分な場合」がある。さらに、公訴提起に不可欠な起訴状の公訴事実の 記載に関しては「厳粛な運用」が行われていると、実務家からも刑事訴訟法学者からも一応それなりに解されている。ゆえに、日本の刑事裁判が99.9%有罪 と言われる所以の一つには、「有罪の見込みが高い事件以外は手を出さない」という司法消極主義の側面もあると言えるのである。では、検察官が同事件につい て「有罪の見込み高し」と判断した法的事情は一体何であったのだろうか。それこそが、被告人4人を有罪と判断した最大の法的問題「共犯者の自白」なのであ る。