満足度は無論5/5。
私が最も好きな作家であり、私の「物書き人生」の自称「恩師」。
私が遠藤先生を好きなのは、何よりも「ユーモア溢れる人間性」と「あらゆる弱者に対しても常に寄り添う視点」を人一倍小説で表現してきた作家だと思うから。
以下では、遠藤文学にかかわるところだけを抽出するが、遠藤氏の面白さは何と言っても「人間性」。かなり面白可笑しい話が出てくる(というかそれしかないw)が、そこは読んだ者しか分からない「特権」ということで伏せておこうw
●阿川弘之
・奇抜な発想と旺盛な好奇心、生涯のテーマとした日本に於けるカトリック信仰の問題については真剣だったし、翻訳のフィルターを透すと語法の不備が消えてしまう一得があったし、かれこれ相俟って、海外で、特に米英で、遠藤作品の評価は高いらしい。
→「翻訳しても表現内容が変わらない文学作品」、例えば村上春樹氏のような。これについては、これからの研究課題だし、こういう作品を書いてみたいと思う。
・カトリックの教義も伝統も知らぬ異端が一人入っていたわけだが、遠藤の宗教活動らしき多彩な企てを思うと、それがほんとに宗教活動だったのかどうか、一抹の疑問は持ちながら
→実に同意。宗教論自体に関しては、代表作『沈黙』でさえ、最後まで一貫した論理であったかと言うと、言い難い。ただ『沈黙』自体は、氏の宗教論を除いてなお、日本文学が誇る名作だと私は思う。
・「お前と吉行とは、麻雀や花札ばかりやってよって、夏の間遊び暮しとるきりぎりすや。俺は毎日せっせと仕事しとる蟻さんや。寒い冬が来て、食べるもん無い言うて泣きつかれても、助けてやらんからな。少し反省せいよ」
吉行淳之介は二年前に亡くなり、蟻さんも死んでしまって、もう一疋のきりぎりすだけが反省せぬまま生き残り、カトリック本山の宏壮な建造物なぞこうして見上げていると思った。
→さすが小説家。実に素晴らしい文章だと思う。この部分好きだなぁ。
●吉行淳之介
・狐狸庵先生も、なにやらニヤニヤと喜んでいるので、ある日マダムに聞いてみた。
「きみ、おもいは遂げられたのかね」
「ダメなの。センセったら、ベッドに座って十字を切ってお祈りしていて、相手にしてくれないの」、と、泣いておった。
ポール遠藤の堅固な道心が、マダムの攻撃を撃退したのである。めでたしめでたし。
→女性関係が奔放だった吉行先生が書くから、面白いw
●安岡章太郎
・あいつは願望、あるいは自分がこのようになりたいというのは、いろんな失敗者になりたいという願望もあったみたいね。
・あの幼稚さというものは、同じ劣等生として、僕にもある程度理解できるのね。つまり、学校ではいろいろな成績順を決めるだろう。そうすると、劣等になると、自分はその役割を受け持たなきゃいけないと思うんだよね。だから、かえってばかなまねをしないと、何か自分としての役目がつかない。
→遠藤氏の「人間性」の魅力というのは、安岡先生が言うように「劣等感」が大きいと私も思う。
●三浦朱門
・「踏み絵を踏みなさい」とは、神父としては言えないよ。だから、彼は『沈黙』の中で、神父が率先して弱者になってほしい。つまり、神父は優等生の顔をしてほしくない。優等生の神父もいいけれども、だめな神父もいてほしい。
→なるほど。これは正しい沈黙理解だと思う。
●加賀乙彦
・「ぼくがカトリックでいる効用は、ぼくみたいな駄目な男でも信仰者になれるんだから、誰でも気楽に洗礼を受けようという気になることさ」
→若い頃、遠藤周作に「あっち側(西欧)のキリスト観」だけでノーベル文学賞を与えないのはいかがなものか、なんてことを思ってもいたけれど、最近は、この人は「あえてもらえる作品を書かなかったのだ」と思う。
・遠藤周作がキリスト教作家であることは間違いがないにしても、その作品には教会や信仰の形への批判が多い。『沈黙』で、神父の転びを肯定したため、この小説に対するカトリック内部からの批判が多く、とくに長崎教区では一時"禁書"になったと聞く。
(中略)作品を文学としての深い表現の場で論ずるのではなく、"転びの肯定"という表層でしか理解しようとしない人々の態度が悲しかった。
→ちなみに、遠藤周作の名作『沈黙』は私も大好きだが、私にとっては、大の宗教嫌いでw、カトリックはおろか、「遠藤教」すら受けつけ難い。しかし、『沈黙』の本当のすごさは無宗教である私でさえ理解できる。遠藤周作=宗教というイメージは誤りだと思う。
●梅原猛
・「狐狸庵」(遠藤氏の愛称)は「孤離庵」であるともいう。狐や狸のような化かし合いのおもしろさを楽しんでいる遠藤氏の背後に、孤独で寂しがりやのもう一人の遠藤氏があるのであろう。
→さすが「梅原日本学」。表現が実に的を射ている。
・宗教ということの重要性があまり認識されないこの日本で、まじめなクリスチャンであることは精神的孤立を余儀なくされることである。まじめすぎるほどまじめなクリスチャンである遠藤氏は他人との間のつながりを回復し、自分が日本の社会のごくふつうの人間であることを示すために、あのようないささか度が過ぎていると思われるいたずらやふざけを必要としていたのであろうか。
→これは、斬新な見解だと思う。なるほど。
●遠藤周作「癩病(らいびょう。ハンセン病のこと)での話」
私は当時、あるカトリックの学生寮で生活をしていた。この寮では年に一回、寮生が汽車にのって静岡県にある癩病院を慰問する習慣があった。(中略)
(もし、俺に伝染したら、どうするのだ)
そう考えると、私は顔では平気をよそおいながら、内心はそういう病人のいる場所に近寄りたくないと思い、またそういうエゴイストの自分をイヤな人間だと反省し、心の中で迷っていた。(中略)
霧雨のふる中、病院についた。私の不安と、そんなエゴイストの自分にたいする自己嫌悪はますますつのっていった。私たちは病人のうち軽症の人とベース・ボールをやり、私もイヤイヤながらバッターになった。
私の打った球が外野にとんだ。一塁と二塁の間に私は挟まれた。うしろから球を追いかけてきた患者のファーストの手は醜く崩れていた。私が思わず眼をそむけると、彼は小声で静かに言った。
「手をふれませんから……お行きなさい」
この静かな言葉は今日にいたるまで私の心にはっきりと甦ってくる。そして私はその言葉を思い出すたびに、たまらない自己嫌悪におそわれるのである。
●遠藤順子(妻)
・結核になって退院してから性格的に随分変わったと思います。それまでは割合と厳しい感じの人でしたけど、これからはやはり自分が肉体的な苦痛を味わって、要するに昔でいえば拷問のようなことですよね、結核の手術なんて。
やはり肉体的に人間というのはどんなに弱いものかということも非常によくわかったし、精神的に弱い人もたくさんいるということもわかったし、そういう人たちに対する眼差しがやっぱり幅が広くなったと思います。
それと、今までは文学的な方、文壇の方と、要するに文学論を闘わせるような人とわりとつき合ってきたと思うんですけども、病院へ入りましてから沢山の療友ができました。職業もそれこそいろんな方がいらっしゃいましたから、いろんな世界を見ましたし、これではわかられないのが当たり前だ、もう少しだけくだけなきゃと、自分でも心掛けてくだけてたようなところもあるかと思います。
・管を抜いていただいたら、その途端にとってもうれしそうな、ほんとに輝くような顔になりまして、私は手を握ってたのですけど、「おれはもう光の中に入った。安心しろ、嘆くんじゃない」っていう、「絶対にまた会えるからな」っていう感じのメッセージをもらったような気がしました。
大学のパソコン室で、一人泣いた。