「鉄は国家なり」~40年前のお話~ | うんちくコラムニストシリウスのブログ

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たかが40年前の秘蔵映像ですが感動しました泣き顔






今さらながらマニアで本当にすいませんバッド(下向き矢印)バッド(下向き矢印)

という訳で懺悔として日記書きます

話は40年前の新日本製鐵合併です

新日本製鐵と言えば今でも就職、特に理系就職においては必ず上位を占める現在売上世界第2位の会社です

実はあの当時もし新日本製鐵ができれば世界一の売上を誇る会社だったのです

そこで独占禁止法に違反しないかどうかが問題になります

当時新日本製鐵を作ろうとしたのが、八幡製鉄社長の稲山嘉博さんと富士製鉄社長の永野重雄さんです

彼らは後に財界3ポストの2つ日本商工会議所会頭、日本経団連会長になります。

今でも財界3ポストは鉄鋼業界が占めることがあります

最近は東芝が強いです

さて、独占禁止法を取り扱う公正取引委員会はもちろん合併取消を勧告します

なぜならシェア100%の分野とかもあったから

しかし永野・稲山両氏は引き下がりません

まず彼らは当時の通商産業省、今の経済産業省を味方につけます

当時の通商産業省は私が大好きな城山三郎先生の「官僚たちの夏」で知られるように、巨大企業を積極的に作ろうという考え方でした

なぜならアメリカに太刀打ちできないと考えたから

そして彼らは公正取引委員会の求める条件を次々に解決して合併を進めます

時にはライバルの日本鋼管、今のJFLスチールに特許やシェアを売り渡したり

また当時の銀行業界の大物だった日本興業銀行会長中山素平さんに協力を求めます

この日本興業銀行とは今のみずほ銀行ですが当時は今以上に強かったのです

なぜなら実質的に国の政策に沿って金を貸す銀行だから

今の政策投資銀行です

そうして公正取引委員会はついに合併を認め、委員長は無念の辞任をするという話です

政財界により独立機関である公正取引委員会が戦いながらも最後には苦汁を飲まされるという話でした



確かにふーん的な話なのですがマニアの私には本当に見逃せないかつ見なきゃいけない秘蔵映像でした

昭和人って本当にカッコいい、自分もあんな人間になりたいですうれしい顔