こんばんは、Kです。

 

今日、結構寒いですよね。

 

私も、今年初めて暖房を使いました。

 

少し、K・A・B・Iのにおいがしました。

 

いい芳香剤とかあったら教えてもらいたいです(笑)

 

 

最近、ニュースではガザのことがたくさん取り上げられていますよね。

 

日本で、24年間生きてきた私ですが、今まで平和に過ごしてきたことの

 

ありがたさを痛感します。

 

また、何の罪もない人々が、今もどこかで戦禍にさらされ、

 

肉体的・精神的な痛みや死に直面していることを思うと、

 

胸が痛いです。

 

どうか一人でも多くの人が、生きるか死ぬかの張り詰めた極度の緊張から、

 

命ある状態で、解放されることを願います。

 

 

 日本では、無宗教の人が増えているらしいですよね。(神棚とかも、今時珍しいもの。)

 

私も、無宗教というわけではないですが、ただ生まれた家がその宗教、その宗派だったというだけで、

 

それほど信心深いわけでもありません。

 

だから、パレスチナの宗教がらみの抗争をみても、

 

信仰する神のために戦争までやっちゃう人々の行動原理は、正直理解に苦しみます。

 

 

 

 今日、車の中で、たまたま聴いていたラジオで、

 

子どもが学者に、日常生活の疑問を投げかける番組をやっていました。

 

番組内で、6歳の男の子が、「死んだ人の心は、どこにあるのですか?」と聞いていました。

 

なんでも、その子のおじいさんが最近亡くなったそうで、

 

その子は、おじいさんの心はぬいぐるみにあるのではないか、と思っていたらしいです。(かわいい。)

 

それに対して、学者代表の脳科学者は、

 

世界には、死者の心の所在について、いろいろな考えがあって、

 

そのどれもが、周りの人々がその人の死を乗り越えて生きていくのに有効なものだ。

 

だから、ぬいぐるみにおじいちゃんの心があるという、男の子の考えも、一つの正解だ、

 

というようなことをおっしゃっていました。(たぶん)。

 

 

 おじいちゃんぬいぐるみ説のように、どんな考え方や信条も、

 

人々が前向きに生きていく助けになるなら、それはひとつの正解だと、いえるのでしょう。

 

でも、「人々が前向きに生きていく」の「人々」の範囲が狭いと、正義と正義がぶつかって、

 

ガザのようなことが起きるのかもしれません。

 

そうだとすれば、私は正しさを過信しちゃいけない気がします。

 

正しいから安心だとか、そんなの通用しないのかもしれない。

 

今ある命が何より大事なんだ、という大前提を見失っては、

 

正しさはときに凶器になるんじゃないか・・・

 

と一人思う夜でした。ふとん1ふとん2ふとん3

 

おやすみなさい。