中学校に上がってから卒業するまでの私は、
身長158cm〜161cmくらいで、
体重がmax 73kgと、成長期といえども流石にデカすぎだった。
そんな見た目の上、性格も暗く勉強や運動もできない私でも、なぜか友達は絶えずいてくれたが、部活の先輩や別クラ男子からはいじめられる日々。。
吹奏楽部に所属していたが、直属の先輩が嫌すぎて1ヶ月休部していたこともある。
休部時は、コンクール出場メンバーだった私が欠けることを良く思わない他の先輩と揉めた事もあるし、休部した事を後からねちねち嫌味ったらしく言ってきたり、常に非難の言葉をかけてくる顧問もいて、本当に地獄のような3年間を過ごしていたなあ…。
唯一、2,3年生の時のクラスが、生徒も先生も優しい人ばかりで、小学校からの親友もいて、中学校から仲良くなった親友もいたので、クラスにいる間と、部活仲間と顧問に対する愚痴を言いながらも金賞取って全国行きたいよね、なんて話しながら練習を頑張ってる時間だけは救われていたような記憶が。どちらかというと辛かったけど。
とまあ、学校生活は勉強も出来ないし、
そこそこしんどかった3年間でしたが、クラスが良かったお陰で耐えれていた。
が、
そんなことより何より、家庭が酷かった。
母親は、私が小学生低学年の頃に離婚したため、毎日スナックでバイト。
そんな毎日を送ってりゃまぁ、酒に溺れ、男に溺れ…。
私が中学校上がった頃からマジでヤバい男と
付き合っていたため、メンヘラババアが
出来上がっていて…。
毎日仕事後は酔っ払って帰ってくるし、
酒乱ババアなので真夜中に彼氏と怒鳴り合い・殴り合いの喧嘩で、全身あざだらけになってるし、そのせいで私はほぼ毎日夜中に起こされる始末。
(どんだけ喧嘩すんのよ)
時には朝方に警察に送り届けられて帰ってくるから近所の目が痛い痛い。児相来たこともあるわ。
でも、そんな事を気にも留めない&彼氏に依存して別れられない母。私が中2、中3の春夏冬休みの時なんて、もはや彼氏の家に泊まりっきりのことが多くなり、晩御飯はお金置いてくから〜だし、部活の弁当など一日たりとも作ってくれた記憶がない。
というか、長期休暇以外でも母親が家にいない日とか多々あったから、普通に学校で弁当が必要な日も作ってくれた記憶がない。
(なんなら、弟の遠足の日も確か帰ってこなくて弁当も作ってなくて、弟ギャン泣きしてた時は本当にこのクソババア殺してやろうか、と思った。そんな時に限って家に材料もなんもない…
どうしたか覚えてないけど、多分作って持たせた気がする…本当に自分が偉い…)
と、父親がいない家庭なのに、母親は一家の大黒柱として一切機能しておらず。
勿論その時期の私はストレスの塊。
(中学生やぞ、思春期やぞ?)
母親とその彼氏は本気で死ねばいいと
考えていました。
ある日、ストレス値が限界突破して、
真夜中にあまりにも喧嘩がうるさいから、
「うるさい!」と言いに行ったら、何故か私が文句言われたこともある。
「何で????????????????」
(マジでお前ら2人とも良いように死なせねえからな…絶対呪ってやるからな……)
と心に誓った。
(ちなみに、私の呪いはガチで効く説があり、
良い事も悪い事も強く思いすぎたり言葉にすると現実になるよ、そして現実になったら、ネガティブな内容は特にその代償として貴女の体調に返ってくるから注意してね、と占い師に言われたことがある。思い当たる節が散々あるから怖いが…
守護霊が守ってくれてる結果だと信じたい。ちなみにおばあちゃんもそういう傾向がある。受け継いでるなぁ。※ちな霊感はない(見えない))
話が逸れたので戻します。
母が彼氏に殴られて罵倒されて溜まったストレスは、私を真夜中に起こして、くだらない事を怒鳴りつける事で発散していた記憶。。
私が寝てる間に、ペットがしたうんちや粗相の処理ができてない!とか、お前には好きな事やらせてやってるのに何の手伝いもしない!とか、死ね!とか、産むんじゃなかった、とか、更にブルーな日はもう死にたい…死なせて、とカッターを手首に当て始める始末…。
手伝いなんもしない、とか、好きな事やらせてやってる、とか言われたけど、そもそも家にすらいない母親…手伝う事とは…?
そんな場面があってもこんな母親を手伝う気にもならないし…
こんな家だからそりゃ家に居たくなくて。
土日は必ず友達と出かけて、家にいる場合は友達呼んでたし、それが「好きな事やらせてる」って母親の認識になってたんだろうけど、シンプルに家に居たくなかった、母親に関わりたくなかっただけなんですけどね。。
まあ友達呼んだり泊めたりする度に後々母親からその件について文句言われてたから、
何してもストレス溜まって仕方なかったんですけど。
「死ね」「産まなきゃ良かった」に関しては、
「あんたが選んだ道だろ」以外の言葉がない。
(大人になっておばあちゃんから、私のことは母は最初産む予定はなかった、と聞かされました。
まぁ…そうだろうね…愛情を感じないもんね…)
以上、母の言葉への感想でした。
さて、母について、
「中学校の時に私の目の前」では2回、自殺未遂を起こしていまして。
流石になんかもう、それを目の前で見せられてる意味が分からなくて泣いた。
夜中に起こされて、酔っ払った母親が死にたいって目の前で喚いてて、(なんなの?)が9割だったと思う。
どうせなら、朝起きたら死んでる、と気付かされた方がよっぽど納得出来た気がする。
てか、後々、勝手に死ねよって思ってた記憶がある。。
そのくらい、毎日のように酔っ払って蹴られたり、暴言吐かれたり、育児放棄されたりしていては、「死にたい」と言われても「生きててくれ」とは返せない状態でした。
母親が家に帰ってきてた時は、夜中仕事終わりで酔っ払ってるから、鍵持ってるのに自分で開けれなくて、毎日毎日チャイム鳴らされて起こされて、ドアを開けた瞬間からストレスの捌け口に言葉の暴力が降ってくるから、開けたくなくて寝たふり。そしたら開かないイラつきで電話がかかってきて、(電話かけれんなら鍵開けれや)
それも無視したらドアをどんどん蹴って叫び始める。
流石に真夜中(早朝?)は近所に申し訳ないので仕方なく開けると、めっっっっちゃくちゃ文句言われる。。
文句の内容は大体毎日一緒なんだけども、
多分ストレス溜まってるから、
何でも良いからサンドバッグが欲しかったんだろうなあって感じ。
私娘ですけど??!
夜中(朝)の4時とかですよ?
毎日7時頃には起きて支度してるんですよ?
土日はお弁当まで作って支度して!!
本当に迷惑もいいとこですよ!!!
寝かせろや!!!!
おかげでチャイム恐怖症になり、一時期寝てる時に、鳴ってないのにチャイムが聞こえて夜中目覚ます事が良くあった。
人間って追い詰められるとこうなるんだな、って実感したなあ、あの頃…。
とまあ、こんな中学校3年間な訳です。
地獄の日々だったなあ、本当に。
「地獄の日々だったなあ」と思えるような今になって本当に良かった。
次は高校編。
更に納得できない内容も出てくるけど。
高校2年生の頃に、やっと!!!
私の人生、救いの転機がやってきます。
キーマンは、7つ上の姉。(初登場?)
(今姉には連絡遮断されてるけど(笑)
後々に社会人編を作ってそこに詳細を書きます。多分色々理由があるんだろうけど、関わりを絶って放っといてもこの子(私)は死なない、って思ったのだろう。まあ強く生きてますわよ!)
長々と書いたけど。
かけてない事も沢山あるけど。
まだまだ半分も書けていない、
普通とは程遠いことがたくさんある私の人生
ある意味特別だなあと…。
思い出して、あの頃こうだったな、ってことを忘れないで生きていきたいのです。
経験してきた出来事で私の人生が創られていて、
普通の家庭とは程遠い家庭で育っても、
ここまでの大人にはなれるよ、幸せを感じられるようになるんだよ、って
今苦しんでいるかもしれないどこかの
毒親持ちの子どもにも聞かせてあげたいなあ。
一人一人状況はちがうから難しいけど。
慰めじゃなくて励みに。。
どうしてこんなに強く生きてこられたか、一度もグレずに真っ直ぐ生きてこれたかは不明。
多分友達や親友や先生が優しかったおかげかなあ。
今でも大親友で、
幸せになってほしいなあ、彼女らも。
今は大変そうだけども。
そんなこんなで一旦中学校編は閉じます。
書き足りないけどねぜんっぜん!実際はこんなもんで済ませていいもんじゃなかった!!
でもとりあえず。